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ペンディングな日々

 夏休み終盤、今年から新しく始めた季節労働に従事した。これまでやっている文字に関わる感じの仕事で、大変だったけどまあまあ充実していた。

 仕事をしてお金を得ると、すぐさま服を買いたくなるのをやめたい。まだコロナ感染者数がここまでひどくなかった夏の日に、都会の店で見かけた秋物のニットを着ている人がいて、俄然欲しくなってしまい、ほぼ毎日ネットでカートに入れては戻し、カートに入れては戻しをしている。

 そのニットのほかに、よく買うブランドのセール品で綿のプリントワンピースを私は狙っている。それは手持ちのワンピースによく似たデザインで、今着ているものは夏場とても涼しくて重宝しているので、来年用に是非買いたいのだ。しかしそれはセールになってもまだ高い。先週はタイムセールで少し値打ちになっていたが、それでも自分基準ではちょっと手を出しにくい価格だった。

 何かを買うかどうか検討している状態なのは、やるべき仕事がずっと片付かないというのに似て、なんだか落ち着かない。ニットもワンピースも、結局買わないかもしれなくて、道で一億円入ったボストンバックを拾うというようなことがない限り、少なくとも両方買うことはない。だったらもうどっちか買うと決めてしまえばいいんだけど。


 そんな風に、色々なことがペンディングになっている日々である。コロナで、二学期は中途半端な始まり方をしているし。仕事では   今四社とお付き合いさせてもらっているのだけれど(昨年度までの一社と比べるとすごい頑張った、自分!)、業種柄、夏~秋は閑散期で、これも宙ぶらりんなのである。

 仕事がないと自分は無能だ、みたいな考えが頭をもたげてきて、閑散期でも全く仕事がないわけではないのだろうから、声が掛からないのはそこまで頼りにされてないのかな、みたいなことを鬱々と考えはじめてしまう。

 

 noteも、企画を自分で打ち立ててみたり、もやっとする話題のふたつめを書いていたり(これはみっつめまで案が出来ている)、とにかく下書きが無限に増えているし、下書きになっていない紙のノートのメモもある。公募用の作品もアイデアのみなのを含めて五個くらいあるし、どれも宙ぶらりんでペンディングである。ペンディングの雄、積ん読は順調に増えているし、読みさし積ん読という悪鬼もとどまるところを知らない。

 生活のうえでも、書くために体をメンテナンスしないとという使命感に急き立てられたり、最近飼いはじめたメダカが卵を産んだら特別なケアがいるけど、メダカはなかなか巣で卵を産んでくれないということにヤキモキさせられたりしている。かんから三線はまだ出来てないし、うちの冷蔵庫は子供と大人の舌にあわせてタレやポン酢の使いさしで一杯。図書館のアカウントは、子供のものを含めて三つ全てが常に予約枠と貸し出し枠一杯で、自転車操業である。落ち着かない。せめて予約枠をあと二つ増やしてはくれまいか。そしてそれらすべてを薙ぎ倒していく睡魔と子供の喧嘩。

 

 弱っていたころは、精神的に床に横たわっている感じで何もかも停滞していたけど、元気になったらなったでペンディングの嵐である。今日あさイチで見たトングがほしい。そういえばポテトングを追加で買おうといっていたのにペンディングになっているし、きゅうりを星形に育てられるパイプも買おうといっていてそのままだ。

 自分の心が動くことを全部実行に移すのは無理だし、生きるということ自体がペンディングの連続なのだろうけどね。

 そして、ペンディングばっかり! と思うと中途半端な自分は……とマイナス思考になるので、今はここまで出来た、今日はここまで出来たからよしとしようというのを決めて、それをいちいちノートや日記に書いておくのがいいのだと思う。「今日は睡魔に負ける!」も目的があるなら立派な目標だ。

 とりあえず、企画を主催した記事は今日中には書きます……多分……。

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