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小説 サステイナブルなひと

 エス氏ほどサステイナブルな人はいない。

 彼は街で募金活動を見ると、必ず五百円入れる。この行動はSDGsの十七の目標の一番目、「貧困をなくそう」にあたる。
 自宅の屋根には五年前にソーラーパネルを入れた。これは言うまでもなく七番目の「エネルギーをみんなに、そしてクリーンに」および十三番目の「気候変動に具体的な対策を」にあたるし、彼は大学での授業の傍ら、市民講座や講演会の依頼があれば無償でも喜んで登壇し、自身の蓄積した知識を惜しげなく披露する。おまけに彼の勤めているのは女子大である。四番目の「質の高い教育をみんなに」、五番目の「ジェンダー平等を実現しよう」にも貢献しているのである。

 そんなサステイナブルな人であるエス氏は、職場に着くと新聞に目を通すのが日課である。紙資源を浪費することとパソコンで記事を読む電力コストを比較勘案し、エス氏は紙の新聞を選択しているが、時折、やはりパソコンで記事を読んだ方がサステイナブルではないのかという逡巡が頭をかすめるのが小さな悩みの種であった。そうやって気を散らすことが、エネルギーの浪費につながると考えているからだ。

 経済学を専門分野とする彼には、富をひとところに集中させやすい資本主義経済を果たしてこのままにしておいてよいのだろうかという思いが常にある。SDGsというものが出てくること自体、資本主義による世界運営には重大なほころびがあるという証左ではないのだろうか。彼と同窓で、同じ経済学者になった友人たちとは学会で定期的に会うが、彼らは自分の専門分野の果たす役割を信じこそすれ、それが人々の幸福を奪っているかもしれないとは思いもしないらしい。友人たちのように国立大で任官できず、三流女子大でファッションや恋愛ばかりに関心がある女子学生相手に、眠気を誘う授業を続けている俺の言うことなんて、どうせ傍流である。帰宅する道すがら、そんな自虐的なことを考えながらも、国境なき医師団への援助協力を訴える声を耳にすると、札を募金箱に入れて三番目の目標「人々に保健と福祉を」に貢献してしまうエス氏であった。

 週末に、町内会の美化活動に参加しながら(十一番目の「住み続けられるまちづくりを」)、自分はこのままでいいのだろうかとエス氏は考えた。個人レベルの活動では、サステイナブルについて大きな成果を出すことは到底できない。エス氏は奮起した。まず、技能実習制度を利用して、実家の町工場に東南アジア等からの若者を呼び寄せ、手に職をつけさせようとした。技能実習生を搾取するのではなく、日本人の職工と同額の給与を与えた上、自宅の空き部屋に下宿させたため、若者たちは大いに奮起し、給与の何割かを母国に送金した(二番目の「飢餓をゼロに」に間接的に貢献)。彼らに現場を任せられるようになって時間に余裕ができたベテラン職工は、既存の技術を応用する研究に力を割くことができ、これまでの得意先であった精密機械メーカーだけでなく、玩具メーカー、自動車部品製造メーカーにも販路を広げることができた。これらにより、じり貧だった町工場は華麗なV字回復を果たしたのである(八番目の「働きがいも経済成長も」、九番目の「産業と技術革新の基礎をつくろう」)。

 しかし良い評判は良からぬことを考える輩をも引き寄せるようで、ある日工場に泥棒が入った。幸い、工場内のトイレを熱心に清掃中だった(六番目の「安全な水とトイレを世界中に」)エス氏が異変に気付いた。柔道の心得のあるエス氏によって暴漢はあっけなく取り押さえられたが、その暴漢は「世の中は不公平だ。俺はコロナで仕事を失い、結婚も望めないし、この先生きている希望などないと絶望してやったのだ」と泣き出すのだった。

 やはり、資本主義は間違っている。エス氏は十番目の目標、「人や国の不平等をなくそう」を実現するために、泥棒氏の罪を問わないかわりに、仲間を集めさせ組織を作った。困窮している者、現状に不満を抱く者は多く、組織にはあっという間に大所帯になった。組織のメンバーにはこの組織の目的を率直に伝え、直々に訓練をほどこした(十二番目の「(テロ組織を)つくる責任 (テロ組織で人を)つかう責任」 )。

 全ての準備が整い、あとはこの爆破ボタンを押すだけだった。これで富をほしいままにしているGAFA企業やシリコンバレーの新興企業や研究所を一斉に爆破できる。エス氏は自分がサステイナブルの頂点にあると感じ、歓喜に指が震えてなかなかボタンを押すことができなかった。

 ダーン! ダーン! ダーン! ダーン!

「十六、平和と公正をすべての人に!」

 エス氏は背中を何十発も撃たれて絶命した。泥棒氏をはじめ、組織のメンバー全員の拳銃から煙が立ち登っていた。彼らは最初こそエス氏の思想に共鳴していたが、そのうちに自分がいかに恐ろしいことに加担させられようとしているか気付き、元凶であるエス氏を消そうと、「パートナーシップで目標を達成しよう」としたのだ(SDGs目標の十七番目)。

 エス氏の遺体は、半分は海に、半分は山に遺棄された。エス氏の遺体は微生物に分解され、やがて海洋生物や植物の貴重な栄養源に変わるだろう(十四番目の「海の豊かさを守ろう」、十五番目の「陸の豊かさも守ろう」)。

「きっとヤツも本望だろうよ」泥棒氏は海岸でひとりごちた。

 まったく、エス氏ほどサステイナブルな人はいない。

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