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Cruel Summer日記 20230823

 夏休み……。終盤なので息切れ中である。
 外で働くような仕事なら、「子供が家にいるから」とシフトを減らしてもらうこともあるのだろう。私の仕事にはそういうのがなく、むしろ夏は書き入れ時なので、忙しいのである。
 そりゃ、年収三桁後半万円の人などと比べてしまうと、「その程度で忙しいと言うな、甘えてる」となるのかもしれないけれど。
 
 まあ、自分比で忙しい時期も、一か月くらいなら耐えられるのである。それが八月の半ばに入り、別種の仕事に移り変わるころには、元にあった体力気力を使い果たし、Y1000も効かなくなり、珈琲を何杯か飲んでも昼下がりに意識を失ってしまう。
 
 それだけへろへろなのに、忌々しいことに、体重が増えているのである!!!

 今年なんて、ここで書いたこと以外にも、子供を色々連れ回し経験を積ませ、公共機関の学習系イベントがあれば連れて行き、親ぐるみの付き合いの人達とも遊んでいるのに、なんで??? こんなに忙しいんだから、痩せたっていいのに理不尽!!

 原因は単純で、食べているのと運動しないのとである。子供がいれば10時と3時におやつを与えるので、ついでに自分もつい口に何か物を入れてしまう。仕事はじっと座ってする仕事なので運動できない。子供がプールに入っている時、監視員をすることがあるが、自分が入らないのでそこでも痩せないのである(こないだはあまりに暑くて、仕事が遅れてもいいやとだらだら水浴していたけれど)。

 もういい年だしね? 別にスタイルを気にする必要なんてないという向きもあるけれど、さすがにちょっとなというか、別に何もキャッキャうふふなことがなくても、自分がこれでいいと思えるような体型は維持したいわけですよ。それで無理に時間を作って、ストレッチや筋トレを再開していた。

 以前はこの人の動画をよく観ていた。可愛いし、冷静に指示してくれるのが良かった。 

 でも、今は専ら田中理恵さんのリエフィットばかり観ている。

 最初は彼女の明るいところが眩しすぎる気がしたし、フレンドリーなところも、「がんばってる!」と度々言ってくれるところもトゥーマッチな気がしていた。しかし、彼女のチャンネルのストレッチがとてもよく出来ていて、筋トレほどしんどくないのにめちゃくちゃ体が柔らかくなって、実際体型にも効いているので続けているうち、すっかりファンになってしまったのだった。
 筋トレをしている時、息を止めてしまうとあまりいい効果がないというのはダイエッター周知のことではないかと思うのだけれど、それでもしんどい時はつい「うっ」と息を止めてしまうんだよね。だけど、田中さんの「呼吸を忘れないで―」のタイミングは絶妙で、(大袈裟なと思っていた)「頑張って、あと少し!」という声掛けにいつの間にか勇気づけられていた私が居たのである。オリンピックに行くまでの人は、どこでどう声をかけられれば人は頑張れるか分かるということなのかもしれない。
 そんな訳で毎晩、あるいは失神していた昼間にせっせとストレッチなどをしている。


 また、夏休み後半となると、もう少し夏休み中にしておきたかったということをラッシュでやろうとしだすのが常である。あるいはもうこの疲れはデフォルト状態であると諦めて、子供の面倒を見るのはそこそこに(好きなテレビなどを見せて)、自分の好きなことをやる時間を増やしている。
 その中に、手塚治虫の「火の鳥」全巻を読むということがあって、最近やっと貸し出しっぱなしになっていた一巻が図書館の棚に戻ってきたので読み始めている。
 私は思春期より少し前の頃、二巻の「未来編」まで読んで挫折している。二巻は環境悪化で地下にしか住めなくなった未来が舞台で、マサトという男性と、長命のアメーバ的生命体、ムーピーのタマミが主人公の話だ。くだらない争いによって、地上のシェルターにいる限られた人達以外の人類が滅亡するのを体験したマサトは、火の鳥の力によって不死身にさせられてしまう。ムーピーは長命とはいえ、500年程度で寿命を迎えてしまう。マサトは気の遠くなるような時間、独りで地球を眺めて過ごすのである……。

 そのマサトが完全に概念のような存在になってしまった後、同じくそうなったタマミとある場所で再会する。二人は完全に混ざり合い、他の概念(魂と言い換えてもいいだろう)と揺蕩いながら幸せのうちに過ごすのである。
 私は少女らしい感傷から、死にたくないとずっと考えていたけれど、マサトのようになるのも嫌だった。マサトとタマミが再会して完全に溶けあえたことを美しいと思いながらも、「もし好きな人と混ざり合ってしまったら、恋人は自分になってしまうのだから、自分とはどうしても違う(故に)あの人が好き、という気持ちもなくなってしまうのではないか」と思って、じゃあ好きって、愛ってなんなんだと思って怖くなってしまった。

 そのくせ、私はこの未来編が示す愛に完全に洗脳されていて、(できもしないことは頭の片隅では理解しつつも)相手と一体化したいしされたいという状態を理想のように思ってしまっているところがあった。他者との一体化を無意識のうちに求めるがゆえに、他者との距離が適切に取れないということにつながったのかもしれないと思う(もっとも、それは火の鳥だけが悪いわけではなく、複合的な要因があるはずだが)。

 それ以来続刊を読んでいなかったのだけれど、今なら読めるかもしれないと思って読んでいる。未来編より先の話もやっぱり重たいし、「好きな人と一体化したい、されたいと思うのが愛」という哲学は変わらない。けれど、大人になった今では、一応頭では、他者と一体化したいという感情が愛だと思うのは手塚氏の考えであって、それが必ずしも愛とは言えないのではという風に思えるようになっているので、そこまで致命傷を受けずに読むことができている。

 ところで、連載当時「火の鳥」を掲載した雑誌は休刊や廃刊の憂き目にあうというジンクスがまことしやかに囁かれていて、そのせいで、完結するはずだった火の鳥は、掲載誌が見付からないために完結しなかったそうだ。
 弱ってきたら自ら火の中に飛び込んで(雑誌の休刊)、自分だけまた再生する(次の雑誌に連載)するなんて、火の鳥の生態まんまじゃないか。


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