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泥だんごをとりに行くのを面白いと思えるかどうか

今日は年少三女は幼稚園が半日保育で、年長次女は弁当ありの全日保育だ。

幼稚園バスのバス停に、生後5ヶ月の四女を連れて2回も迎えに行くとなると

とても慌ただしいので

三女のお迎えは、ファミリーサポートの方にお願いし、

次女が幼稚園から帰ってくるまでの間、

ファミリーサポートの方のお宅で預かってもらうことになっていた。


13;45次女のお迎えの時間がきて

自転車をすっ飛ばし、三女をファミリーサポートの方のお宅へ、

次女を幼稚園バスのバス停へ迎えに行く。

2人はそれぞれ今日あった出来事を

自転車の上で楽しそうに話し

家に帰ってきてからもまだその話は続いていた。

三女は今日泥だんごが上手に作れたという話をしていたところ

途中で突然、

「泥だんご忘れてきた!」

と泣きそうな顔で叫んだ。

三女にとって泥だんごというのは

大変大事な宝物らしく、

以前にも友達の家や、公園に忘れて

とりに戻ったことが何度もある。

ファミリーサポートの方のお宅に連絡を入れると

やはり玄関の外に忘れていたらしい。

三女に聞いて見ると

絶対とりに行きたい

というので作りかけのクラッカーをオーブンに入れてから

ファミリーサポートの方のお宅へ再び行って

泥だんごをとりに行くことにした。

ファミリーサポートの方のお宅までは

自転車でシャーと坂をかけおりれば

1分くらいで到着できる道のりだが

今日は雨が降っていて歩いて行くことにした。

次女三女は傘を早々に閉じて坂道を走り続け

わたしは置き去りになった。

ファミリーサポートの方のお宅に到着するや否や

三女は門をくぐると玄関へ続く階段をかけ上がり

玄関脇にちょこんと置いてあった泥だんごを

両手で大事に包むようにそうっと持ち上げ

そろそろと歩いてきた。

わたしが、おだんご見せてーというと、

ちょこっとだけ手を開いて見せてくれた。

小さな丸い泥だんごが顔をのぞかせている。

かわいい。

その後近所のスーパーと花屋へ寄って家に帰ることになっていた、

いや、実はわたしは

先にスーパーへ行ってから

ファミリーサポートの方のお宅による予定だった。

だって泥だんごを持ったままスーパーへ行ったら泥だんごはどうなるか?

なんて容易に想像がつくことだから。

でも、次女三女は猛スピードで坂をかけ降りて行ってしまったので

わたしは2人に追いつかず、声が届くところにきた頃にはもう

2人はファミリーサポートの方のお宅の前でインターフォンを押して

門前で待っていたから、

スーパーへ先に寄ろう、なぞと提案する間がなかった。

案の定三女が持っていた泥だんごは

スーパーに着いたときには、少しかけていた。

花屋にいる間にポロポロパラパラと

泥だんごの泥が地面に撒き散らされているのを見た。

花屋から数十メートル先の公園に差し掛かったあたりで

最後の小さなひとかけらをパッとばら撒いたところをちょうど目撃した。

三女は手に付いた泥をパンパンとはらっている。

あーこの一部始終を祖父母や妹や夫に話したらどれだけ笑うだろう!

わたしの中で大爆笑が止まらない。

ただの泥でできた小さなおだんご。

とりに行く必要なんかないと判断して

また作ればいいじゃない、とか、

月曜日とりに行こうね、と言って忘れさせる、とか

そういう手もあったかもしれない。

わざわざ雨の中とりに行ったのだから

大事に持って帰ってきて、兄、姉、パパに見せるんだろう、と思いきや

1時間もしないうちに地面に撒き散らしてしまうんだったら

わざわざ雨の中、時間かけてとりに行かなくてよかったんじゃない?

と思うかもしれない。

でも三女は

泥だんごをとりに行く、泥だんごを両手でコロコロしながら持ち歩く、

泥だんごを崩す、泥だんごの崩れた破片を地面にまく、

そういった大人にとっては理由のわからない

一連の流れの中で

五感を通じて

わたしにはわからない“何か“を

感じ経験し、学んだ。んだと思う。

だからわたしは三女の泥だんご遊びに

付き合わせてもらってやっぱりすごくよかった。

本当に、子どもって大人と違って面白い!

こういう出来事に出会えることこそが、豊かだな、と思う。

こういう

大人だけの生活だったら絶対に起きることのないことの積み重ねが

子育ての楽しいところだとわたしは思ってる。

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