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I Love Youを訳すと

お読みいただきありがとうございます。E AND I CREATIONSの遠藤です。
日本語教師の勉強をしていまして、日本語についてよく考えます。

<月が綺麗ですね>の逸話

英語教師をしていた頃の夏目漱石が、<I love you>を<我君を愛す>と翻訳した教え子を見て「日本人はそんなことは言わない。月が綺麗ですねとでも訳しておけ」と言ったという逸話があります。なんて粋な明治時代と思いました。

めちゃくちゃロマンティックですよね!なんか情景も浮かぶし、はにかんだ明治時代女子の姿も浮かびます。定番の愛の告白とも言われている言葉ですが、私、日本語の勉強をしているとき、とんでもないことがわかったのです。< 月 は 綺 麗 で す ね >と言われたら、全然ロマンチックじゃなくなることを・・・。

「 は 」 と 「 が 」 問 題

日本語教育では「は」と「が」の違いについて説明できるように、めちゃくちゃ難しく教えてもらいます。今でも参考書を見ながらnote書いています。でもこんな難しいことを教えたら、日本語を勉強している人は混乱します。いや、日本人だって改めて聞かされると混乱します。

しかし、けっこう納得します。難しいですが聞いてください。

なぜ
<月綺麗ですね>
<月綺麗ですね>
が違う風に聞こえてしまうのか・・・。

文法的に分類すると
「が」=格助詞=主体
「は」=取り立て助詞(係助詞ともいう)=主題

格助詞は「が」「を」「に」「へ」「で」「と」「から」「まで」「より」の9種類あります。それに対して取り立て助詞(係助詞)は「は」「も」「こそ」「さえ」「まで」「すら」「でも」「だって」「しか」「だけ」「のみ」「ばかり」「など」「くらい」・・・まだある!

取り立て助詞は主題なので話し手の主観が入ります。なので主語『私は』『あなたこそ』などコミュニケーションの主体と相手の時によく使われます。

現象文と判断文の原理

ちょっと堅苦しくしがちな文法論。日本語の文法研究は明治から昭和そして現在までめちゃくちゃ研究されています。言葉は生きているのだなとしみじみ思います。古文まで行くと1000年ストーリーになるので割愛。

雨が降ってる。(三尾砂1948)
雨は水滴だ。(三尾砂1948)

「現象をありのまま」「判断の加工を施さないで」「心に映ったままを」そのまま表現した「現象文」であり「が」が使われる。それに対して「雨という概念と水滴という概念を主観の中で組み立てた真理であって、それが真理であるかないかの責任は話し手の主観が負わなければならない。」すなわち、課題である「雨」に対して、話し手の主観が判断を下して「水滴」が解決として真であると主張する「判断文」であり「は」が使われるというのである。

三尾砂

現象文はよく自然現象に使われます「台風がやってきます」「地震が起きました」のようなニュース的な文章には「が」が用いられます。判断文は一般常識を表す「夕焼けは明日晴れる証拠だ」「太陽は西に沈む」と恒常的なことに「は」を使います。

この二つの文に関して言えることは・・・

<月綺麗ですね>
心に映ったままをを言葉にしているからロマンチック

<月綺麗ですね>
一般常識を言われても「はぁ?」と思う

最後の解釈は主観です。あなたはどう思いますか?コメントください!!ご清聴ありがとうございました。

「はぁ?」ていうゲームしてみたい


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