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「動物園がネバーランドすぎてなかなかフィールドに卒業しない」という謎ジレンマの正体

一個の怪物が動物園界を徘徊してゐる。

「動物園は野生動物や自然環境に目を向けてもらうための施設」
「だから動物園にだけ通っている人よりも、フィールドで野生生物の観察もしている人のほうがレベルが上」
「何ならフィールドを生業としている狩猟者さんや研究者さんがピラミッドの頂点で、すそ野の皆さんはその高みを目指すべき」
「動物園は入門者向けの楽しいゲレンデで、一定以上のレベルになったら野生・野外・屋外を志向するものだ(べきだ)」
「よって、ずっと動物園にだけ通い続けている人が増えるのはよろしくない」

そんな風説というか風潮というかというか都市伝説というか迷信という、謎ジレンマ怪物である。私信ですが確実に存在します。

はい。結論から書きます。実際にはそんなジレンマもヒエラルキーも実在しないし、気にする義務も義理もないです。以上です。

もうちょっと丁寧に書きます。


動物園には4つの社会的役割がある、と世間では言われています。

1. 種の保存
2. 教育・普及活動
3. 調査・研究
4. レクリエーション

です。

1番目の種の保存に対する取り組み、絶滅危惧種の保護繁殖は、とりわけ重要な役割です。動物園は、野生下での個体数減少や生息地破壊などの問題に直面している動物に安全な飼育環境を提供し、繁殖計画を通して個体数を増やす努力をしています。何なら「これをしないなら希少動物は飼っちゃいけない」とさえ言えます。

2番目の教育普及活動は、来園者に対して動物たちの生態や自然環境について学び、生物多様性の重要性を理解を促す取り組みです。日常的な展示を通しての取り組みのほか、イベントやガイドなど教育プログラムなどを通して、環境問題への意識を高め、持続可能な社会の実現に向けた行動を促す役割を担っています。
これもその動物園が公立私立・営利企業か自治体の施設か公益財団かは問わず、無主物であり公共の財産でもある野生動物を飼育・展示する上で課せられた義務でしょう。

3番目の調査研究は、もちろん動物園のための研究ではなく、動物園の「外」の自然を知ることに貢献するための調査や研究です。動物の生態や行動、繁殖生理などの研究は野生動物の保護活動に役立ちいます。(獣医学や動物福祉に関する研究も動物を飼い続けるベースとしては必要ですが、これはある意味自己目的の研究なので、ここでは割愛します)。

4番目最後のレクリエーションは、楽しい娯楽施設としての性質です。
レクリエーションのため「だけ」の動物園が存在していいかというのは難しい問いです。しかし、一般の方が楽しいと感じない場所で、楽しくない教育活動や興味の湧かない研究や保護活動をしていても、それは一部の意識高い飼育員の自己満足にしかならないですし、結局活動は尻すぼみに消えていきます。上記3つの目的を前進させるためにも、動物園は楽しくてナンボなのです。

さて、上記のとおりレクリエーションだけの動物園活動は存在しにくいです。
一方、種の保存・教育普及・調査研究は動物園という活動を行う上で絶対に欠くことのできない必要条件なので、逆説的ですがそのどれも単体では動物園という活動を行う目的にはなり得ません

例えていうなら、お寿司屋さんは食品衛生に関する各種法令に従って食中毒を起こさない義務(必要条件)がありますが、食中毒を起こさないことを目的として寿司を握っているわけではありませんよね。

必要条件は単体では存在目的たり得ないのです。
くだんの謎ジレンマの正体は、この自己目的思考です。

動物園は、その定義上「施設(と従業員)」「動物」「動物を見に来る人」という三角形の関係性で成り立っています。

種の保存のためだけに動物を飼うとするならば、それは横浜市繁殖センターのような非公開施設になりますので、動物園とは呼ばないでしょう(コウノトリの郷やトキ保護センターはこの三角形が成り立っているので、動物園の一種と考えることができます)。

教育普及のためだけに動物を飼うとするならば、それは学校で飼われている動物です。

調査研究のためだけに動物を飼うとするならば、それは研究機関です。

動物園ではありません。

動物園は、動物と施設のほかに「自由意思で見に来る人」がいて初めて成り立つのです。そして何なら、その人が対価を払ってくれないと実際問題として経営的にも存在し続けられないのです。

「動物園がネバーランドすぎて誰もフィールドに卒業しない」という系の論は、「動物園で学んだことは野生に還元されなければならない(から野外に目を向けてね)」という動物園サイドの意識高い人が自己都合で作ったベクトルなので、来園者の方はそんなものに従う義務も義理もないし、フィールドに「卒業した」人のほうがレベルが上なわけでもないのです。

つまり、実際にそんなジレンマが存在するのは多くの場合、運営側にいつつ経理には興味のない、専門分野にだけ意識の高いの人たちの中「だけ」であって、楽しく動物園に通って経済的にも支援してくれている方には全く無関係どころか有害な風説なのです。

そもそも、環境や種や遺伝子の多様性の価値を認識する場だ!としている意識高い側が、趣向の多様性や興味の多様性や意識の多様性を否定してどうする!ってことでもあります。

多様性の価値を説きながら楽しみ方の幅を狭める思想は有害です。

公立動物園であっても、種の保存や教育普及や調査研究のために必要なお金をクラウドファンディングで賄ったり、アマゾンの欲しいものリストでおねだりするのが当たり前になりつつある昨今。
いやがうえにも人口減少と少子高齢化が地方都市において最も早く進行し、遠足もデートも親子連れも消えていくのが、近い将来に訪れる動物園の未来予想図Ⅱです。

レクリエーションを主目的に来園を繰り返される方は、むしろ堂々と胸を張って下さい。自分たちが支えているのだと誇ってください。
そして動物園という自分の好きな施設を次世代に引き継いでください。


証明が下手でスミマセン。

みんな好きな場所で好きなように楽しめばいいんです。

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