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雪の夜の夢

若いきつねは夕暮れ時に目を覚ました。

地面に掘られた彼女のちいさなあなぐらは、降り続く雪に入り口をほとんどふさがれつつあった。

せまい穴の中で体を回転させ、頭を穴の外に出す。しんしんと降る細かな雪は森のすべてを白く覆っている。

きつねは雪の森に歩みだした。きんと冷え切った空気が雪の表面だけを硬くしている。一歩ごとに沈む体を前に進めながら、きつねは雪の下に残された微かなにおいを嗅ぎまわる。穴の入り口をふさいでいた尾には、凍った雪がこびりついている。

しばらく行くと、きつねはにおいを嗅ぎ取った。
記憶をたどる。これはヤマドリのにおいだ。

足を忍ばせ、うつむいたまま雪の下のにおいを慎重にたどる。においは雪の割れ目に顔を出している藪のほうへと続いている。

身を低くし、藪に近づくきつねがヤマドリを目視したのとほぼ同時に、ヤマドリはきつねに気が付いた。

きつねは激しい羽音を立てて飛び立つヤマドリにとびかかる。しかし、ヤマドリの横腹を狙ったキツネの牙は、一寸の差でむなしく空を切った。

木立の間に飛び去るヤマドリを見送りながら、きつねはさらに空腹が強まるのを感じた。ふたたび雪面のにおいを探る。今度はすぐにみつかった。のうさぎのにおいだ。

きつねは藪から斜面を横切るように続く雪の下ののうさぎのにおいを慎重に追う。今度こそは。

まっさらな雪面に鼻がつくほど顔を近づけたきつねは、雪が降る前に確かにここを通ったのうさぎを追い、歩を進める。

しかし、雪面の下に確実に続いていたのうさぎのにおいは、斜面の途中で何の前触れもなく途切れていた。あたりを嗅ぎまわっても、どこにも続いていない。

においの終着点で、若いきつねは考えた。のうさぎは空を飛べるのだ。

振り返ると、雪の森には遥か麓から自身の足跡だけが長く続いている。

沢筋に沿って山を下り、あなぐらに戻ったきつねは、尾を丸くして目を閉じた。

       *****

若いのうさぎは夜更けに目を覚ました。

彼の定宿であるホオノキの根のすき間から細い空をのぞいくと、雪は止んだようだ。

耳をそばだて、用心しながら顔を出す。青い月明かりに照らされた林床は一面雪に覆われており、物音ひとつしない。

のうさぎはふとももに力をため、後足の指を思いきり開くと、大きく蹴りだして真っ白な雪の上に跳び出した。

昨日残した足跡は新たに降り積もった雪に消され、滑らかにうねる雪面からは天辺も見えないほど背の高いミズナラやヤマザクラが何本もそびえ立っている。

のうさぎは記憶を頼りに林の中を駆け抜けた。向かった先の急斜面では、崩れ落ちた雪の下から地表が顔を出している。

のうさぎは藪に駆け寄り、小枝の先端を口に含んだ。硬い外皮に覆われた冬芽はとても小さいが、嚙み切ると中は鮮烈な緑の香りにあふれている。のうさぎは藪をつたいながら、夢中になって小さな芽を食べ続けた。

口と足を動かし雪の裂け目の端まで来ると、のうさぎは次の餌場に向かおうと目を上げた。

雪の斜面を横切るように、昨日通った道順通りに跳ねていく。夜の森の中はどこまでも静かで、時折、どさっ、と木の枝から雪が落ちる音だけが低く響く。

しばらく進むと、斜面の下からひとすじの足跡が合流してきた。一直線に並ぶまるい足形は、きつねのものだろうか。新雪が完全に消した昨日ののうさぎの足跡を、ぴたりと正確にたどっている。

若いのうさぎは考えた。きつねは雪が透けて見えるのだ。

のうさぎは後ずさりした。これ以上進む気が起こらなくなった。二歩、三歩と後ろに進むと、斜面の下の岩場めがけて横っ跳びに大きく跳んだ。


岩の上を走りに走り、濃い茂みの奥に身を隠したのうさぎは、胸の鼓動を落ちつかせながら目を閉じた。

       *****

雪の森のきつねは、空飛ぶのうさぎの夢を見る。

雪の森ののうさぎは、雪を透視するきつねの夢を見る。

ふたたび降り始めた雪が、森から音を消し去った。

明日の朝には、また新たな雪面が生まれるだろう。


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