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バタフライエフェクトとスピノザの神

バタフライ・エフェクト(蝶々効果)という言葉があります。

南米のジャングルの小さな蝶のはばたきが、北米大陸の巨大竜巻の遠因になりうる、という例えで、元来は「ごく小さな力が加わることでも、力学系全体に多大な影響を及ぼし得る」、という、気象予報や温暖化の予測不能性の例えとして使われている言葉ですが、歴史に「if」を持ち込む語としても定着しています。


・もしもヒトラーが美術学校に合格していたら、第二次大戦は起こらなかっただろうか?

・もしもナポレオンがモスクワを攻略していたら、欧州は統一国家になっていただろうか?

・もしも中東やインドでヨーロッパよりも先に産業革命が起こっていたら、植民地地図は逆転していただろうか?

などです。


小さな決断の違いや一人の人間の存非によって未来が分岐し、その後の歴史に大きな変化を与えそうなことはよく想像されます。「架空歴史小説」や「仮想戦記」というジャンルに人気があるのも頷けます。

人は、歴史に「if」を持ち込み、異なる未来を想像するのが好きなのです。(理由は後述します)


しかし、スピノザの哲学では、「バタフライエフェクト」は存在しません。

なぜならスピノザによると、この世界の全ての存在、全ての運動は「神=自然、自然の法則」によって、どんな小さなことも事前に決定づけられているからです。この世界観では、すべての出来事は必然的に起こり、偶然性はありえないのです。


スピノザの神の世界では「やり直す」ことはできません。歴史は必然です。

世界線は一本しかないのです。

仮にやり直せたとしても、ヒトラーは必ず生まれ、必ず美術学校に不合格となり、必ず第二次大戦が起こって、必ずドイツが敗北します。

ナポレオンも必ずトラファルガーとモスクワとワーテルローで敗れ、セントヘレナ島へ流されます。

スピノザの考える神の世界では個人の自由や自由意思はありません。人が「わたしは自由だ」と思えているのは「神すなわち自然」の中での自由であって、神の意思を上回る自由などあり得ないのです。


また、人が関わらない物理現象についても、南米の蝶は神の予定どおりに羽ばたき、神が予定したとおりの大気への影響を与え、神が予定したとおりの竜巻が起こるのです。

カオス理論では、初期条件のわずかな誤差が将来の挙動を大きく変化させてしまうため、気象や気候などの正確な長期的予測は不可能であると考えられています。

しかしスピノザの神の世界では、人間など「神すなわち自然」の一部でしかない、せいぜい霊長類の中では一番大きな脳を持った一種類の動物に過ぎません。

そんな限られた人間の理性や知力で理解しきれるほど、神すなわち自然の働きは単純ではないのです。身の程を知れ人間。


スピノザによれば、人間は神/自然によって決定された必然性の中で行動するしかありません。

しかし、そのことに気付かない、神の意志の中で生きようとしない人間も生きようとする人間も、せめて神の視点に「近付こう」と試み、かなわない「自由」を夢想するために、歴史に「if」を持ち込み、異なる未来を想像するのです。(この夢想すらもスピノザによれば「神の意思」です)


バタフライ・エフェクトは、個人の行動が大きな結果につながるという考え方ですが、これはスピノザの哲学とは矛盾します。

人から見ればバタフライ・エフェクトに見える一連の歴史や力学すらも、「神すなわち自然」の、必然の発現でしかありません。

私が17世紀オランダの、蝶のように美しい哲学者の言葉に心を揺さぶられているのも、バタフライエフェクトなどではなく、神=自然による必然の帰結なのです。

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