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名曲全集 第169回 東京交響楽団 指揮:原田慶太楼 バリトン:大西宇宙 ソプラノ:小林沙羅

クラシック音楽の中でいちばんコロナ禍の影響を受けた声楽。満を持して、パンデミック以来初の合唱ということでも話題になった公演であり、合唱団は人数が絞られ、ソーシャルディスタンスが取られ、(ソリスト含め)マスク着用で歌唱、さらにはその人数制限のために途中でメンバーの入れ替えをするという、様々な制約の中で開催されたコンサート。筆者にとっては初の合唱つき生演奏だったのですが、この先このような異例のコンサートはないでしょうし(そう願いますし)、記念すべき公演の記念すべき体験をした思い出深いものとなりました。

またヴォーン・ウィリアムズ・プログラムというのも珍しかったようで、クラシックファンの方でも海の交響曲を聴くのは初めてというツイートをいくつかお見かけしました。(日本では珍しいということかもしれませんね)

筆者はオンラインやテレビで拝見していたお目当ての原田慶太楼さんと大西宇宙おおにしたかおき さんというおふたりがいっぺんに見れる!ということで、よく見てみたら購入から約8ヵ月間チケットを温めていたというものであり、この記事は原田さんと大西さん推しに偏っていることをあらかじめお知らせいたします(笑)

この記事は楽譜も読めないクラシック音楽初心者が、勉強がてらコンサートの余韻を味わう目的で残す、備忘録に近いコンサートレポートです。


プログラム

ヴォーン・ウィリアムズ:グリーンスリーヴスによる幻想曲
ヴォーン・ウィリアムズ(ジェイコブ編):イギリス民謡組曲
ヴォーン・ウィリアムズ:海の交響曲 

<出演>
指揮:原田慶太楼
ソプラノ:小林沙羅
バリトン:大西宇宙
合唱:東響コーラス(合唱指揮:冨平恭平)

公演日:2021年9月18日 (土)ミューザ川崎シンフォニーホール

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(画像のクリックでミューザ川崎の公演情報に飛びます)

原田慶太楼さん

海外から指揮者の渡航が叶わなかったコロナ禍、その代役を務めた日本人若手音楽家の活躍が話題になりました。原田さんもそんな中行われたNHK交響楽団との共演でその才能が日本全国に知れ渡り、いま最も注目されている指揮者のひとりと言われています。原田さんはアメリカ・インターロッケン芸術高校やロシア・サンクトペテルブルクで音楽を学び、様々なオーケストラと共演した輝かしい経験をお持ちで、現在はアメリカ・ジョージア州サヴァンナ・フィル・ハーモニックの音楽・芸術監督、東京交響楽団正指揮者をされています。

また、コンサートが次々にキャンセルされる中でもクラシック音楽を絶やさないよう、早々といくつものYouTube番組を発信。そこでは裏話などを面白おかしく紹介し、筆者のような初心者をクラシックの世界へグッと引き込んでくださいました。クラシック音楽の敷居を低くし、とても親しみやすいものにした原田さんの偉業はこれだけでなく、クラシック音楽界でも新たな試みを次々に実行する名ディレクターとして様々な革命を起こしていらっしゃいます。そんな個性的な原田さんは「出る杭は打たれる」どころか「杭が出すぎて打てない」と言われるのだとか(笑)←YouTubeよりご本人談


大西宇宙さん

大西さんは武蔵野音楽大学在籍中から数々の賞を獲得し、アメリカ・ジュリアード音楽院に進学。在学中から名門リンカーン・センターでのリサイタルやカーネギー・ホールでオーケストラと共演などのご活躍が称えられ、多数の賞や奨学金を付与されて最優秀の成績で卒業。卒業後はアメリカ三大歌劇場の1つにも数えられるシカゴ・リリック・オペラの所属歌手としてご活躍されました。

2019年、体調不良のために主役の海外のアーティストの来日が叶わず、代役でセイジ・オザワ松本フェスティバル「エフゲニー・オネーギン」に出演。大西さんにとって日本でのオペラ・デビューとなりました。その日本人初の主役という偉業は同音楽祭の歴史を塗り変えたと言われ、その実力が絶賛されています。

筆者は昨年10月、金子三勇士さんとのコロナ禍企画「みゆじックアワー」で初めて大西さんを拝見し、演技力(?)に驚いた「魔王」や、その気さくなお人柄で一気にファンになりました。それまで知識がほとんどなく、実は自分は興味を示さないだろうと思っていた声楽に関心を抱くきっかけを作ってくれた方となりました。(そのときの筆者のnote記事


そんなおふたりは過去に何度か共演されていて、ここでその中のひとつ、2020年1月公演のオペラ「道化師」についておふたりが語る動画をご紹介します。前述の原田さんのYouTube番組「Music Today」のもので、筆者が笑い転げたのと同時に大西さんの演技力に驚愕した「珍プレー ~記念すべき殺されるシーン~」をスタート地点にしました!そこで何が起きたかは見てのお楽しみにしておきますが(笑)筆者が注目したのは大西さんが倒れるところ。人が死ぬときの力の抜け方って、よくある”う~バタッ”じゃないんですよね。泥のように重々しくふーっと抜けていく。大西さんの演技、秀逸ですよね!

筆者にとってそれまでオペラ歌手とは”物語に合わせて衣装を着て歌う人たち”だったのですが、これを拝見して”オペラってこんなに演じるんだ!”と知りました。そこからオペラの楽しみ方は歌の技術がわからなくても、演技を見ることから入ってもいいんじゃないかと思い立ち、それ以来オペラへの好奇心が急上昇中です。


ヴォーン・ウィリアムズ

今回のプログラムで特集された作曲家について、少し調べてみました。

レイフ・ヴォーン・ウィリアムズ(1872-1958)は、ホルストとともに20世紀前半のイギリスを代表する作曲家。20世紀におけるイギリス最大の交響曲作曲家とも言われている。王立音楽カレッジ、ケンブリッジ大学でパリー、ウッド、スタンフォードに学んだのち、ベルリンでブルッフ、パリでラヴェルに師事。本格的な作曲活動は比較的遅く、30歳ごろに始まる。彼の音楽の基盤は、ルネサンス期のイギリス音楽とイギリス民謡にあり、チューダー朝の古いイギリス音楽や、地方に伝わる民謡に着想を求めることで、19世紀までドイツ音楽の影響下にあったイギリスの音楽界に新風をもたらした。作品には、『海』『ロンドン』『田園』『南極』などの標題をもつ9曲の交響曲をはじめ、オペラ、管弦楽曲、協奏曲、合唱曲、歌曲など多数。

年表でいうとこのあたり。前述のホルスト(1874-1934年)より2歳上(年表にはありませんが)、師事したラヴェルは3歳年下なんですね!

年表_はじめてのクラシック_ヴォーン・ウィリアムズ

名前のスペルはRalph Vaughan Williams。「Ralph」を「ラルフ」と読まず「レイフ」という古風な読み方にしたのは、ヴォーン・ウィリアムズご本人のこだわりだったのだそうです。余談ですが、筆者にゆかりのあるカナダ・トロント近郊にVaughanという街があります。そこに地域最大のショッピングモールがあるのですが、この難しいスペルが読めない、書けない、覚えられない!ショッピングに行きたいけど、えーと、あれとあれが入っているモールの・・・ここから1時間くらいの・・・とやたら遠回しな表現をしなければならない日々がしばらく続いたことを思い出します。


ヴォーン・ウィリアムズ:グリーンスリーヴスによる幻想曲

まずは簡単な作品紹介を。

グリーンスリーヴスの有名な旋律は16世紀末のイギリスで流行し、シェイクスピアの喜劇の中で登場。ヴォーン・ウィリアムズはその喜劇に基づくオペラを作曲し、劇中歌とした。今回演奏された作品はそれを独立した管弦楽曲に編曲したもので、ヴォーン・ウィリアム自身の指揮で初演された。

演奏が始まって最初の音で驚きました。コンサートホールの音響なのでしょうか、たとえばバイオリンなどの弦楽器が、弓で弦を擦るものに思えない丸みのある音になってフワっと宙に浮いていくようでした。オーケストラの音たちがまとまって、ひとつの綺麗なギフトボックスに入って届いているような感覚。筆者はミューザ川崎に伺ったのはピアノリサイタル以来なのですが、いろいろな音楽を聴いてみたくなるホールですね。

この曲で原田さんは指揮棒を持たずに滑らかな動きの手で表現し、音楽を作っていらっしゃいました。指揮棒が登場しなかったのは、繊細な作品だからなのかなどと推察して楽しんでいました。

ここでもうひとつお気に入りの動画を。原田さんの東京交響楽団正指揮者就任記念コンサートの時のものなのですが、指揮棒についてお話されています。ちょうどそのあたりにスタート地点を合わせていますが、ミューザ川崎の中を歩きながらホールを紹介するところも気に入っていて、楽屋からそうつながっているのか!という楽しい発見がありました。その他のQ&A、特に後半のお悩み相談へのお答えも原田さんの魅力がたっぷりなので、ぜひ21分全部見ていただきたいです!

筆者は生で原田さんの演奏会に出かけるのは2度目。初めてとなったのは8月にサントリーホールで行われたジョン・ウィリアムズの映画音楽プログラムだったのですが、ウィリアムズつながりで若干間違えそうになります(笑)そちらの演奏会もとても素晴らしく、その感動をnoteに残そうとしたのですが、撮影のカメラが入っていたためネタバレ回避でまだ温めています。テレビでしょうか、はやくみなさんに感動をお裾分けしたいです!


ヴォーン・ウィリアムズ(ジェイコブ編):イギリス民謡組曲

こちらも作品について簡単にご紹介。

20世紀初頭、イギリスでは民謡復興運動が起こり、ヴォーン・ウィリアムズもそれに触発され、イングランド各地をまわり、民謡を採譜・録音した。この作品はそういった様々な民謡の旋律にもとづいた3つの楽曲から構成されている。「イギリス民謡組曲」は王立軍楽隊のために作曲され、この日演奏されたものは吹奏楽のための原曲から弟子のジェイコブによって編曲された管弦楽版である。

第1曲・行進曲 「今度の日曜日で17歳 Seventeen Come Sunday」
第2曲・間奏曲 「私の素敵な人 My Bonny Boy」
第3曲・行進曲 「サマセットの民謡 Folk Songs from Somerset」

全3曲から成る作品なのですが、いまどの曲でしょう?という初心者プチパニックな流れでした(笑)というのも後で知ることになりましたが、前のグリーンスリーヴスからアタッカで第1曲に入ったのでした。(アタッカ=楽章間を切れ目なく演奏すること)グリーンスリーヴスはほんの5分ほどの短い作品だとプログラムに書いてあったのに意外と長いな?と思ったところ第1曲の終わりに拍手が起こり、なんだか思ったよりちょっと長いグリーンスリーヴスに微妙な拍手を送ってしまいました・・・。

アタッカだけでなく、いつの間にか原田さんが指揮棒を持っていたことにも気づかなかったのですが、それがきっと作品の切れ目のサインだったのでしょうね。先ほどの動画にもありましたが、この日もマエストロの指揮棒には奥様のメッセージが書かれていたのでしょうか。

コンサートでは演奏を聴きながら各楽器の動きやステージに置いてあるものに興味津々な筆者なのですが、ここでティンパニのマレットが気になってしまいました。いつもつい本数を数えてしまったりするのですが(笑)マレット置き場は横に並べるタイプと、縦にぶら下げるタイプがあるのですね!この日はじめてぶら下げるホルダーを見て、楽しくなっていました(笑)

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ヴォーン・ウィリアムズ:海の交響曲

本日のメインディッシュは約65分間の大作。ここで大西さん・小林沙羅さんと東響コーラスの登場です。こちらも作品についてプログラムから拝借。

ヴォーン・ウィリアムズが生涯に作曲した9つの交響曲にうちの第1番に相当する作品。ヘンデルから続く英語オラトリオの伝統と、20世紀以降、イギリスで本格化した交響曲創作の探求というふたつの流れの合流点に生まれた傑作である。1910年、自身の指揮によりリーズ音楽祭で初演された。この作品は19世紀アメリカの詩人ウォルト・ホイットマンの詩集『草の葉』から歌詞を再構成している。この力強い言葉で壮大なヴィジョンを語るホイットマンの詩の中では、海は人類にとっての世界そのものの象徴となっている。その意味で、この作品は単なる海の描写というよりも、海という象徴を通じて、人間の精神的な探求を描き出すものとなっているとも言える。

ちなみに9つの交響曲って、ベートーヴェンを想起させますね。もしかして何か関係があったりするのか?好奇心がそそられます。

第1楽章「すべての海 すべての船に捧ぐ歌」
第2楽章「夜 渚にひとりたたずみ」
第3楽章「波」
第4楽章「探検者たち」

最初にお断りしておこうと思いますが、この先、プログラムの解説と歌詞を参考にしながらも、妄想癖がひどい筆者の頭の中で作られたストーリーを書いているので、どんどん作品本来の意図からズレていっている可能性大です。ご容赦ください!

第1楽章「すべての海 すべての船に捧ぐ歌」

冒頭の合唱「Behold, the sea itself(見よ、海の姿を)」というフレーズは(動機というようですね)作品を通して何度も登場し、勇敢な船乗りたちをたたえるとても印象的なもの。プログラムの解説によると、全曲を音楽的に統一する要となっているようです。合唱が始まると、美しく神聖なオラトリオの荘厳さに圧倒されました。20世紀の作曲家がこんなに典型的なオラトリオを作るとは想像していませんでした。(不勉強なのですがオラトリオそのものというわけではないのでしょうか?)

イギリス最大の音楽祭・BBC Promsの動画があったので貼ってみます。これを見ると、本来これだけの人数の合唱団が入る、大スケールの作品だと気づきます。躍動感があるドラマティックな作品は、テンションが上がりますね。(歌詞のキャプションが入っているのもとても良い動画です!)

第1楽章は力強さと若々しさがあり、荒波に耐えうる船とそれを恐れないマインドを持った船乗りたちが、これから大きな海に漕ぎ出す希望や勇気が感じられるものでした。歌詞にはこんな言葉が。

あらゆる国籍の船乗りらに捧ぐ賛歌・・・時と共に種を選り分け 淘汰し 諸民族を融合する・・・翻すがよい、各々諸民族の旗を! 翻すがよい、種々多彩なる旗を目立たせて

まさに現代のダイバーシティを表すかのようですよね。そう思うと今この時代に、コロナ禍でフィジカルな交流が叶わない中、インターネットが国境を感じさせないコミュニケーションを作り、そんな世界で国を越えて学び、ご活躍される原田さんや大西さんが演奏されるというのは、感慨深いものがあります。

ちなみに筆者は小林沙羅さんの衣装がとても素敵で、終始目を奪われていました。動くたび光の加減で変わる海色の青のグラデーション、鱗を想起させる小さなキラキラとした光が並べられたようなテクスチャ、美しいマーメードラインのドレスで、まさに人魚のよう。神聖なオラトリオの合唱に続いて小林さんの美しい歌声が聞こえ始めると、海の女神にしか見えませんでした。


第2楽章「夜 渚にひとりたたずみ」

第2楽章は、このような歌詞から始まります。

母なる海の 寄せては返す波の かすれ声の子守歌を聞き 星々の明るく煌めくのを見るうちに 私は宇宙の韻律と未来に思いを巡らす

威勢よく船をこぎ出したあと、心に抱いてきた今後のビジョンをここでもう一度冷静に思い起こしているのでしょうか。夜の海は安らかで、美しい星空と月光に照らされた海面が神秘的ですが、それは嵐の前の静けさであり、目に見えない暗闇の中、自分の知らない何かが動き続けているという恐怖と不安がありますよね。まさにそういった映像が浮かぶようでした。

第2章でもダイバーシティ的な歌詞が続きます。航海に例えた人生観を語る詩の中で、この多様性の表現は何のメッセージなのかと考えてしまいます。海は広く、そこに何があるのかすべて把握できるものではない=地球の裏側にどんな民族が暮らしているか計り知れないほど世界は広い。その生きとし生けるものを尊重していく心の広さや、未知なものの象徴として、見たことのない水平線の向こうに続く海に例えたのでしょうか・・・。

すべての魂 すべての生体を どれほど姿の異なっていようとも すべての国々 かつて存在した あるいは存在し得るすべての個性を・・・大いなる相違が繋ぐ


第3楽章「波」

第3楽章では荒波がやってたと思えば、抱かれるような穏やかさを取り戻し、夜の闇から太陽の光り輝く美しさを取り戻す、千変万化する海の表情を描いています。第1楽章のファンファーレが戻ってきて、静かな夜が明け、再び勢いよく船を進めていくようすが目に浮かびます。

前述のように小林さんは船乗りに温かく寄り添い、諭し、導く女神のイメージであり、大西さんはその船乗りというストーリーを想像していました。つまり小林さんは天もしくは海の中にいる架空の存在ですが、大西さんの船乗りは現実世界に生きている人で、どんな環境でも前向きに立ち向かうロールモデルのような存在に思えて、なぜかそのかっこいい大西さんを理想のリーダーかのように尊敬している自分がいました(妄想)。ファンの色眼鏡でしょうか(笑)

これは声楽の知識がない初心者のつぶやきですが、これまで耳にしたことのある歌手の中で大西さんの歌声はなぜ心地良いのだろうと考えていまして。それはどこか”球体”を感じるからではないかと思っています。大西さんの声は奥行きがあり、それがバランスよく360度に膨らんでいって、しかも余裕があって自然に声が広がっているように思えます(妄想)。実はこれを2Dの世界を通しても感じたようで、初めて大西さんのリサイタルをテレビで拝見したときにイメージするものがあったのですよね。この”球体”が大西さん独特のものに思えるのですが、これから楽しみに探っていこうと思っています。


第4楽章「探検者たち」

第4章はこれまでの船旅を回想するような静かな始まりから、徐々に表情豊かになっていき、オーケストラ・ソリスト・合唱すべてが盛大に戻ってきてクライマックスへ向かいます。

そして最後はこのような歌詞で再び静かで穏やかに終わっていきます。

我々は行かねばらならない 船乗りが未だ選ばぬ路を 船と我々自身と すべてを賭けたとて おぉ、我が勇ましき魂よ おぉ、さらに遠くへ 挑戦的な愉楽ではあるが心配はない すべて神の海ではないか おぉ、さらに遠く 遠く 遠くへと

それまで様々な困難や感動に出会った経験から、航海=人生を達観するような落ち着きがありつつも、情熱や希望は持ち続け、挑戦を続けていく覚悟を感じる、趣のある言葉たちですね。

筆者はそれをさらに現実世界に落とし込んで、人は酸いも甘いも噛み分けて、最後はきっと悟りの境地に達するのであろうと思わされるものだったのですが、いま考えてみると、このストーリーは時系列とは限らないですね。つい時間の経過を想起して、イメージが死に向かってストーリーを終えてしまったのですが(笑)前述の作品紹介では、”海という象徴を通じて、人間の精神的な探求を描き出す”とあります。同時に起こっている様々な出来事とその感情や哲学だったかもしれませんね。

(後から公演を見に行った方々のツイートをいくつか拝見しましたが、どうやら最後は船が静かに水平線に消えていくようすを表していたようですね・・・)


今回はステージの裏、指揮者と向き合う角度の席だったので、原田さんの表情がよく拝見できたのですが、この最後の1音を振った後の原田さんの姿を今でも鮮明に覚えています。(音は鳴り終わっていたと思うのですが)筆者がこれまで見たことのある指揮のどれよりも長い間を取り、しばらく腕を下ろさずに、作品の終わりをしみじみと深く噛みしめている表情がとても感動的でした。適当な表現が見つからないのですが、この日の演奏を噛みしめているというだけでなく、ここで描かれた人生を追体験して、没入し、使命を全うした最期を想起させるような、シリアスであり、何かに全力で挑んだ以上の大きな充実感に溢れているような印象でした(妄想)。(死をイメージしたのは筆者だけかもしれません 笑)

筆者の偏見で、このオーケストラと合唱団を率いた原田号という船があったら、きっと船長のユーモアセンスでいつも前向きで楽しく、タイタニックでいうところの氷山が現れても、避けられないなら砕いちゃう?飛んじゃう?と奇想天外な方法で回避していきそうだなというイメージを持ってしまうのですが(笑)それを覆す瞬間でした。平たい表現ですが、良い意味ですごく渋くてかっこよかったです。


最後に

これまで筆者はオーケストラのそれぞれの楽器や指揮に注目しがちで、勉強不足もあってその作品で描かれているテーマについて印象が残った経験があまりないのですが、「海の交響曲」は、これまで聴いた交響曲の中で最も強いメッセージを感じる作品となりました。それが筆者が初めての体験である、歌唱付きオーケストラというスタイルだからこそなのでしょうか。

また今回プログラムされたのはコンサートであまり演奏される機会がないと聞く作品ですが、人生を象徴しているというと具体的なイメージを浮かべることができて、さらにはその迫力あるオーケストラの構成が初心者にも聴きやすいものだったように思います。

今回はチケットを購入したときには想像しなかった異例の形式で行われた公演でしたが、フルサイズで演奏されるようになったら、それもまたぜひ伺ってみたいものです。

余談ですが、原田さんがツイートされていた駅弁「海の交響曲」。これがこの公演の差し入れだったらおもしろいでしょうね(笑)


出典

プログラム ミューザ川崎シンフォニーホール(当日配られたもの)

「マンガで教養 はじめてのクラシック」飯尾洋一 監修 朝日新聞出版

ヴォーン・ウィリアムズ(1872-1958) プロフィール HMV

”ボーン・ウィリアムズ” コトバンク/日本大百科全書(ニッポニカ) 小学館

”アタッカ” コトバンク/デジタル大辞泉 小学館

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