法学部の私がゼミに入らなかった理由

 私は都内の大学に通う学生である。学部は法学部。そんな私はゼミナール、いわゆるゼミに入っていない。なぜ、大学生なら所属することが「あたりまえ」のゼミに入っていないのか。今回はその理由について書いてみたい。

 簡単に結論を述べさせてしまえば、「自分のキャパシティを超えてしまうため」である。私自身の詳細は、ここでは割愛させていただくが、大学1年生のときは実家(千葉県)から、そして大学2年生になってから現在大学3年生にいたるまでは東京にアパートを借りさせてもらっている。しかし、様々な事情から2年生になってアパートを借りるようになってからも平日は東京、週末は実家に帰省するという生活をしている。家庭は決して裕福ではないが、なんとかそのような生活をさせてもらっている。アルバイトも体力的な理由(怠惰かもしれないが、、)で今はやっていない。アルバイトについては私の他の記事に詳しく書いたのでそちらを見ていただきたい。
 まあ、そのような前提のもとなぜゼミに入らないという選択をとったのかということについて考えたい。といってもたいそうな考えがあるのではないため、簡単に以下にまとめる。

 ⑴単位があまり順調に取れていないため、まずは単位をとることに集中したい。
 ⑵そもそも人づきあいが苦手
 ⑶ゼミには一応入ってみたものの、「やっぱ無理」って思った

大まかな理由としてはこのようなことがあげられる。⑶についてであるが、
私はゼミには応募もしたし、第1回のゼミには参加してもみた。しかし、上記のように感じてしまい、これは自分自身のキャパシティを超えてしまうなと思い、厳密にいえばゼミをやめるという選択肢をした。(ちなみに、私の通っている学部は卒論提出がなく、ゼミに入ることがシステム上強制というわけではない)

 一応、数少ない友人(高校の時の)にゼミをやめようか迷っていると相談したりもした。その時友人に言われたのが、「人間関係とか、やりたくないことがあって、ゼミに入った後の自分が想像できないなら、無理に入らなくてもいいんじゃない」「大学生なら自分にやりたいことをやって、確実に卒業するのがベストだと思う」という返事だった。私は、率直に納得させられたし、今までのモヤモヤがすっきりした。そうして、ゼミをやめるということを担当教員に報告した。

 その友人は「ゼミに入らなくてはだめっていう風潮あるよね」とも言っていた。「風潮、、たしかに」と思った。この点はやはり「同調圧力」的な要素が働いている面もあるのではないだろうか。ゼミにはいること=普通、入らない=普通じゃない、そうした同調圧力が働くことによって、「自分も他の大多数と同様、多少無理してでもゼミに入らなくては」という焦りを感じてしまうのではないかと思ってしまう。(この同調圧力についてはもう少し詳しく他の記事「大学生とアルバイトと同調圧力」に書いた)

 ここで、補足をしたい。まず、多くの大学生はゼミや研究室に所属することが卒業要件に該当しており、それらに所属することが半ば強制的である状況下に置かれているのだと思う。しかし、私は違う状況下にいた。それゆえ、逃げることができた。私は、今まででもたくさん逃げてきた。(アルバイトを急に飛んだり、友人だった人々と縁を切ったり、、)、それらの多くはどうしてもそうせざるを得なかったことであり、そうすることでしか多少なりとも前に進めなかった。私は弱いと思う。でも、しょうがなかった。と今では思う。人それぞれ、前提状況は違う、まったく違う、なのに他の人と比べることにどれほどの意味がありうだろうか。単に自分を正当化したいだけだろうという声も聞こえなくはない。しかし、自分のことを自分自身で正当化しないで、他の人が正当化してくれることに依存するのほどつらいことはない。私のことは、私自身で守るしかないと思ったのだ。

 すこし、余計なことを書いてしまったが、おおまかに自分の書きたかったことは書けたと思う。最後に再度言いたいのは、人は一人ひとりまったく前提条件が違うのに、人は他者と比べてしまう。そして、その大多数の他者が、本人たちの意図しないところで「雰囲気」を作り出し、知らぬ間に「普通」という一つの価値基準が設定されてしまう。その「普通」から個々人は同調圧力を無意識のうちに感じ取ってしまい、自分をどうにか「普通」という大多数へと埋め込もうと焦り、苦しむ。しかし、そのようなときこそ冷静になって考えてみる必要があると思う。個々人の前提条件は全くちがうのだということを。他人との違いを受け入れ、自分に余裕をもつことは大切なことだと思う。


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