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マグレブで見つけた 人のぬくもり

みなさんはモロッコと聞くと何を連想するだろうか。
私にはモロッコ=サハラ砂漠くらいのイメージだった。

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でも実際訪れてみると、私たちの常識からはかけ離れてはいるが、人との繋がりを大切にするムスリムの社会がそこにはあり、何度でも訪れたくなる魅力を放っていた。
その中から2つのエピソードを紹介したいと思う。

Pay it forward

先進国の都市部ならばともかく、大半の発展途上国では電車自体がなかったり、あったとしても本数も侘しく、しかも時間がかかることは想像に難くないだろう。
モロッコもそんな国の一つだ。
この時私は空路カサブランカに入国し、その足でマラケシュに向かう予定にしていた。
往路のフライトで隣り合った実業家のSoumiaはとても気さくで、気の利く女性だった。
そんな彼女は、知り合ったばかりの私を見送るために、なんと鉄道駅までついてきてくれた。
彼女は電車に乗る予定など無いにも拘らず。
駅に着くと、彼女は私の目的地であるマラケシュ行きの電車の発車予定を確認し、5分後に出発するから、と、結構な金額の切符を迷わず買ってしまった。
私は入国したてで1DHも現地通貨を持っていなかったので、両替して自分で切符を買い、次の電車で行くつもりだった。
しかし、この電車に乗らなければ、次の電車ではマラケシュ着が深夜近くになってしまうから急げ、と彼女は切符を渡してきたのだ。
そして極めつけに「お代は私のお店に届けてちょうだい」と彼女の携帯番号と共に、半ば強引に送り出された。
私は無一文なのに。

…心細い…。

これが私の受けたモロッコの洗礼だった。

マラケシュの駅に着いた後も宿泊予定の宿は遠く、タクシーに乗るお金もなく、当時はATMでお金を引き出すことすらままならなかった。
結局、道行く人に携帯を貸してもらい、宿に電話して事情を話すと、宿のオーナーがタクシーで迎えに来てくれた。
旅先でいきなりホームレス状態にならずに済んだわけだ。
見ず知らずの異邦人に携帯を貸してくれた男性にも、タクシーで迎えに来てくれた宿のオーナーにも頭が上がらない。

そして、帰国前にSoumiaに電車代を渡したい、と電話すると「ごめんなさい。次の火曜まで出張なの。また、遊びに来てね。その時でいいわよ!」という返事が返ってきた。
そうか、最初から切符のお代はいらないつもりだったのだ。
私はそうね、また遊びにくるね、と言って電話を切った。
Pay it forward.
自分が受けた恩は次の誰かに、と心に決めて。

人のものは自分のもの、自分のものは皆のもの

私は旅の後半、諸事情あってラクダ使いのベルベル人であるAssouという男性と旅することになった。
簡単に言うと、マラケシュで雇ったガイドがサハラ砂漠で仕事放棄したので、残りの旅程を彼が請け負ってくれることになったのだ。
なので、私は彼と2人でマラケシュに向かうものだと思っていたのだが、いつの間にかAzizという別の男性が合流していた。
ねぇ、あなたは私たちとほぼ一緒にレストランで食事をしているけど、あなたの食事も私が払ったガイド代から出てない?と最初は言いたかった。…が、言わなかった。
つまり、こういうことだ。

ある時、トドラ渓谷の誰かの家の庭にたくさん実っていた無花果を見つけた。
大好物だと私が言うと、Assouは躊躇いもなく無花果をもいでくれた。
え!?誰かが育てているものでしょ!?と驚くと、彼は、これをたくさん取って売りに行ったりするのはいけないが、今食べる分を取るのは問題ない、という。
確かに、持ち主がここにいたら、たくさんあるから、一つ食べてみるか?と差し出すだろう。
私はこの説明に妙に納得してしまった。

もっとも、Azizは全く卑しい感じはなく、徒歩で移動する時には私の重いバックパックを持ち、楽器を見つければ即興でセッションをして楽しませてくれるという、極めて紳士的で多才な男性だったので、一緒に食事を取るのが楽しくもあった。
そして、彼もガイドを生業にしていたらしく、お客を見つけるといつの間にかいなくなった。
自分の持つものはそこにいるもので共有するーーーなんとなくモロッコ人の感覚がわかった気がした。

そして、Assouと別れる時。
彼は予定より2日も長く私を案内してくれていたので、彼の手持ちのお金が底をついていた。
お金がないと砂漠の家まで帰れないのではないか、と私が心配すると、ヒッチハイクで何とかなるから大丈夫、と彼は答え、最後の小銭でタバコを購入した。

その光景を見て、私は入国したてで現地通貨を持たず移動した時、心細くて仕方なかったことを思い出した。
お金の価値に自分は頼りすぎているんだと。
助け合いが出来ている社会なら、多少足りないものがあってもみんなで補い合って生きてゆける。
有事のために過剰に内に溜め込む必要もない。
本当に必要な助け合いの社会とはこういうものではないかーーーーーーー。

心の距離を感じる社会に生きているから

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数年前、風の便りでAssouが今はマラケシュに住んでいることを知った。
あの優しい遊牧民の彼は、都会に住んでも変わらずにいるだろうか。
私は無性に彼に会いたくなった。
いや、彼だけではない。
お金や人種に捕らわれず、昔からの隣人かのように接してくれるモロッコの人々にまた会いに行きたい。

そう。私はSoumiaにも、また遊びに行くね、と約束したのだ。


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