【ゴルディアスの結び目「為せば成る為せねばならぬ何事も」物の見方を変えれば、解き方が変わるエウダイモニア】アテン的な父?2024.3.15
中学卒業アルバムにそんな文言(「為せば‥」)だけを書いたことがあります。
確かに、後半(アルバムでは省略している「為さぬは人の為さぬなりけり」)の通りの世の中だろうとは思います。問題はその「仕方」です。
倫理観。
これは古くはアリストテレスに遡れる言葉であろうと思っております。
医療会も『ヒポクラテスの誓い』などが、起源の倫理として知られているギリシャ時代。
紀元前BC13世紀起源の口伝というギリシャ神話がセム系語枠のギリシャ語記録され、形而上学計的なことと討論の術を持った科学の記録の始まりの、ポリス小国家、キヴィタスの起点。空間的芸術と情感と歴史家と、作曲家で言えば、さながらウィーンのベートーヴェンの散歩するよつかど(四角)のような濃さ(シューベルトやシューマン、リスト、クララの出る国という意味での比喩)でしょうか?
「為せば為った」その象徴的な歴史的出来事なら、私はアレキサンダー大王の「ゴルティアスの結び目」を例にあげます。視点を変えて逆さメガネなるものをかける気持ちです。
かい摘むと、「結び目」をいかに解くか?です。
※内容要点はwikipedia参照
『https://ja.m.wikipedia.org/wiki/ゴルディアスの結び目』↓
『その昔、権力争いにあけくれたフリギアでは、世継ぎの王がいなくなってしまった。そこでテルメッソスの神サバジオスに、臣民が次の王がいつ現れるかの託宣を仰いだ。すると、預言者の前に牛車に乗ってやってくる男がフリギアの王になる、という神託がくだった。ちょうど神殿へ牛車に乗って入ってくる男がいたが、それは貧しい農民のゴルディアースであった。にわかには信じがたい神託であったが、ゴルディアスの牛車には、神の使いの鷲がとまっていたため、それを見た占い師の女が、彼こそが次の王だと高らかに叫んだ。 ゴルディアスは王として迎えられ王都ゴルディオンを建てた。ゴルディアスは神の予言に感謝を示すため、乗ってきた牛車を神サバジオスに捧げた。そしてミズキの樹皮でできた丈夫な紐で荷車の轅を、それまで誰も見たことがないほどにしっかりと柱に結びつけ、「この結び目を解くことができたものこそ、このアジアの王になるであろう」と予言した。その後、この荷車を結びつけた結び目はゴルディアスの結び目として知られ、結び目を解こうと何人もの人たちが挑んだが、結び目は決して解けることがなかった。
数百年の後、この地を遠征中のマケドニア王アレクサンドロス3世(アレクサンドロス大王)が訪れた。彼もその結び目に挑んだが、やはりなかなか解くことができなかった。すると大王は剣を持ち出し、その結び目を一刀両断に断ち切ってしまい、結ばれた轅はいとも簡単に解かれてしまった。折しも天空には雷鳴がとどろき、驚いた人々を前に、大王の従者のアリスタンドロスは「たったいま我が大王がかの結び目を解いた。雷鳴はゼウス神の祝福の証である」と宣言した。後にアレクサンドロス3世は遠征先で次々と勝利し、予言通りにアジアの王となったという。
この神話部分は、古い伝承ゆえの多くのバリエーションが存在する。ゴルディアスにはミダースという息子がおり、その息子が王になったとする話や、占い師の女と結婚したとする話などもある。』
イスカンダル・ズルカルナインになったアレキサンダー大王。
いと(最)も簡単に「最短」で若者が解いた。
東までの遠征制服したその若者は、アリストレスが家庭教師でした。しかし倫理面はかなり端的に伝わったように思えます!しかし師匠より、早死にで、師匠は胃がん(何故分かるのかのソースはここでは調べておりませんが笑)とも言われる逃亡先での亡くなり方ですが、大王は案外あっさりと亡くなっています。
エジプトでアメン信仰を実際に見て、名前まで受けた大王は、ギリシャ歴史家が記したとされる「カラスの会議」の後に蜂だか蚊であったかに刺されて?)死にます。
アメンの響きは現代に繋がる音であり、アンモニア、この語源のあるエジプトであります。
『名称の由来は、古代リビュア(現在のエジプト西部、リビア砂漠)のシワ・オアシスにあったアモン神殿の近くからアンモニウム塩が産出した事による。ラテン語の sal ammoniacum(アモンの塩)を語源とする。「アモンの塩」が意味する化合物は食塩と尿から合成されていた塩化アンモニウムである。アンモニアを初めて合成したのはジョゼフ・プリーストリー(1774年)である。』
かなり先端な場でありますが、アンモナイトもエジプトが語源です。
ここから急に我が父親の話になりますが、個人的に若い父(写真は私の昔の既出デジタル本「私」に掲載ですから割愛)は、虚無僧かツタンカーメン好きだった母曰く、黄金のマスクの顔に似ていたと思い込んでおりますが、娘のワタクシ瑛里子としては、その父であるアメンホテプ4世(紀元前BC14世紀のアクエテンアテン‥)の方が近い感じでいました笑、父に話したことはありませんが!
実はこのかた芸術的な存在で知られています。
当時ペルシャの支配下にあったエジプトをアレクサンドロス大王が征服したのは紀元前BC322年ですから、アレキサンダー大王も知っていたでしょう。
持病だろうとされていますが、逆手に取ったのか、極端な短足さと目や手の長さの強調。
それまでにない芸術的な彫刻とも言われていますが、あっという間に滅びたアメン信仰からアテン信仰への革命家(アマルナ改革)という印象です。
さて「私」にも書いてきたことなのですが、1つの視点を私は持っております。
理由は基本的に我が家は自由であったからなのですが、枠に囚われない討論視点を西欧的に持つのはおそらく作曲家の原点がユーラシア大陸からの古くは有名なお墓の妻へ作曲した完全な最古の楽譜という筒(セイキロスの墓碑銘)から、グレゴリオ聖歌へと発展する過程に彫刻的3次元芸術と数学の合体と作曲理論、そのようなクラシカルな部分を父が「まとも」に「アカデミック」に引き続き自己発展させている影響であろうと、娘っ子は「吹いて」おります。ですからそこからさらに逸脱する力の起源と勇気を持たされたように勘違いできるのです。今いる平和な国家のおかげです。
しかし娘っ子の瑛里子は薬剤師の門外漢ですから父にはずっと遠慮、ものを申してはならないと亡くなる数年前までも、父から父の曲への想いを聞かれると一言、二言、感想を述べるタチで、「私は素人だけど。」と、遠慮を話したところ「瑛里子(えりこ)は、素人ではないよ?」と言って貰えたことから、父と長電話する傾向が増しました。なんでも少々父は否定する傾向を逆手に取ってしまったような気持ちもありますが(笑)、それまでひたすら勉強、仕事して寝る、ピアノ伴奏も学校内程度ですが、書くことだけはやたら書けるようだと、「これは‥書くわ‥。」と両親がぼそっと言ったことがあります。
その時に父は「自由に書くといいね?」と声をかけてくれました。
「自由」であることはとても貴重だと思っております。
そのクラシカルミュージックの昇華する音を本当に以前より理解し始めたのは、週休返上で働き始めてから仕事で昇華することに加えて、辛さの面を研ぎ澄ませる内面との対話をし書き留めた頃からです。
父が生前に徹夜して作曲する深夜は(ほとんど家に居て、食事とテレビで共感を求め父はよく笑いかけてくれるのですが、割と青春世代からすると父親世代は一方的です)、父には自己対話の音の時間であったようです。
「(母も含めて、私は言われない)他人へ辛辣なことを言っていると言われたとしても大したことはないのだ」という父の理論は、作曲中の自己批判はそんなものではないからだと、その厳しさを言葉として残しています。
父の厳格さは何も言われなくとも伝わります。
私は小学生前は音楽会は行ったことはあるため、特に両親の空気を察することは得意ではあったと思いますが、少しでも椅子の座り方をずらして音を立てると「片手」だけで父が無言で一度制することで、フリーズ着席する子でした。
それは習慣となり自宅でもどこでも、世間ではとても生きやすくなる反面、逸脱したくなる時というのが不意に来てStand Upしたくなるので、厄介でした笑!前前々回投稿(Ameba投稿)で、まだ立たてぬ赤子の私を父が九州のおみくじ場所でStand Upさせた、大凶スタートのような一才時の表情を載せましたが‥。↓
そこで7歳の私は少々の恐怖を感じた話はまた次の話題にいたしますが、父はイスラエルについて書いており、そちらは有料記事になるかと思います。
『嘆きの壁(なげきのかべ、ヘブライ語: הכותל המערבי、アラビア語: حائط البراق)は、ヘロデ大王時代のエルサレム神殿の外壁のうち、現存する部分。神殿はユダヤ教で最も神聖な建物であった。』
『紀元前20年、ヘロデ大王によって完全改築に近い形で大拡張された神殿を取り巻いていた外壁の西側の部分であり、ユダヤ人は「西の壁」と呼んでいる。この部分を含め、外壁はその基礎部分がほぼすべて残されている。』
さてその『旧約聖書』の神の言葉として「エジプトのアメンを嫌う」というくだりがあります。
神道は聖典も無く榊と神棚、祝詞世界ですが、歴史年代の分かる接点を『旧約聖書』はエジプトのヒエログリフや石碑で持つ記述が多いです。
そのため年代を逆算する研究家もおられ、発掘作業に齎すことは西欧は少し論文を見ると、当たり前の視点である人も居るようです。
『三重讃歌』、父の作曲した交響曲になりますが、サントリーホールで開局記念のテレビ局が主催でしたが、その音源動画はもうテレビ局にも無く、廃棄か行方不明だとのことで私は父から頼まれ、2019年5月には、隣接権を法的にクリアして出版したことがあります。
その中で門外漢ですので私は名は伏せて書いたのですが、最古の讃歌の視点で『旧約聖書』のダビデの讃歌(ミズモール レ・ダヴィッド)に触れました。
「楽器を伴う神への賛美」という、礼拝において初めて楽器を導入した人類の出来事として記録されている本とも捉えることができ得るからです。
父の出身地の三重県という土地は伊勢神宮があり、また大自然に恵まれいます。「讃歌」とは、「ある崇高な存在への想い」を表現する共通の意識です。
それを「詞」という言葉によって「その地域の崇高さ」を、また「曲」という表現によって「世界共通の人類の想い」を、その両者が一致する瞬間、瞬間に、「地域」と「全世界」という双方の「枠」を超えた訴えかけが生じるのだと思います。
それが「三重讃歌」を次世代へ残し伝えようと思った言動力です。
‥と、書いたのですが、現実さほど売れておりませんので、宜しければ、限定品をどうぞ!!!
自虐的キックバック(謝礼名目で授受される金銭のこと)!!
無料投稿にしました^_^
※ここまでの投稿はE World Japan 「私」野田瑛里子 著より抜粋です(元ネタ先)。
私的に検証しておりますが、私見投稿でもありますので、文責以上の責任は負いかねます。
父の公式サイトにのみ紐付けしております。
フェイスブック連結タイプでそちらからもご覧になれる(?)かもしれませんが、下記公式サイト紐付けのこのblog(?)以外は、投稿はしておりません。
なにせ、SNSへのやる気が2.5perですから、このまま年間どころか全体投稿数2.5🐹で終わる可能性もありながら、つれ「ず」れ致します。
【父の公式サイト】
https://www.teruyuki-noda-officeoversea.com/erikoから連結blog(?)
この記事は私が書きました
閲覧環境による体系的な表示体形差の違いには
責任を持ちかねます🐹