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【みちらん29】「海なし県」にまさかの ~御鮨街道~

御鮨街道と聞くと、く〇寿司、スシ〇ー、か〇ぱ寿司、は〇寿司・・・バイパス沿いに回転ずしのお店が次々と・・。現代の御鮨街道なら、そんな風景かもしれませんね。※TOP写真はイメージ

鯖街道、塩の道、シルクロード・・・。古今東西、物を運んでいた道にはいわゆる通称(ニックネーム)で呼ばれていたことも多く、「物の名前=道の名前」となっていました。

御鮨街道もその一つ。尾張街道という「本名」がありながら、地元の人にはニックネームで親しまれていました。

常々私は、道に名前があることは良い事だと思っています。何で??と思った方はぜひ「道にも名前をつけてほしい たった一つの理由」もご覧くださいね。

それにしても、海に面していない岐阜県で出会った御鮨街道とは、どんな道だったのか?

お鮨は握り、ではなかった
岐阜県を南北に縦貫している長良川。鵜飼でも知られています。長良川特産の鮎を塩漬けにして飯に漬け込んだのが鮎の熟れ鮓です。大坂夏の陣の帰途、家康・秀忠親子が岐阜に立ち寄り鵜飼を観覧して以来、徳川将軍家への献上品になったようです。

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鮎鮓を笠松から名古屋(熱田)まで運ぶのにこの尾張街道が利用されていました(その先は東海道)。江戸までは昼夜ぶっ通しで5日間かかりましたが、寿司は熟れてちょうど食べ頃になる。(という事にしておいて、)そのあたりはたいへん都合よくできていたようです。

毎年6月から9月の間、月6回とあるので、沿道の人々にとっては日常的な風景だったことでしょう。

笠松問屋場跡は御鮨(鮎鮓)街道に残る数少ない遺構です。

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岐阜県岐阜市
距離:8km 岐阜駅~岐阜公園
[星の数]★★(遠回りしてでも訪れる価値のある、道歩きが好きな人向けのみち)

【おまけ】金華山山頂の岐阜城から長良川と濃尾平野を一望すれば、斎藤道三や織田信長と同じ気分が味わえることでしょう。

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