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文章や語り、特に論理的なものはリニアなものです。

言葉を発するとそれは次々に過去のものになっていき、

その上に積み重ねていく形、

あるいはその先につなげて一本の線になるになるように

組み立てられていきます。

しかし話者の頭の中には複数の意識の川が流れており、

話をする中でもポコポコと新しいアイディアが湧いてきているのでは?

とずいぶん前から感じています。

非常に理路整然と話すスピーカーなのに、突然脈絡がなくなったり

論理が飛躍したりすることがあると、

「ああ、違う”意識の川”に入っちゃったな」

「”ポコポコ”が飛び込んだな」

と思います。

興味深いことに、頭の回転の速い人にこういう現象は多い

余りにも頭の回転が速すぎて、また見えているものが多すぎて

その時その場で全て言葉で表現することが難しいのだろうと思います。

通訳者として仕事をしていて、そういう場面に沢山遭遇してきました。

そういうものを追いながら別の言語に訳すのですから、

改めて通訳は大変な仕事、そして興味深い仕事と思います。

そして、

「人は感じていること、考えていることの全てを

実は自分で把握できているわけではない」

「把握したことの全てを言葉で表現できるとは限らない」

「表現されたことの全てを他者が理解できるとは限らない」

「理解されたことの全てを、他者が自分の言葉で

(同じ言語であると外国語であるとを問わず)

表現できるとは限らない」・・・

ということを考えると、「分かり合える」「通じあえる」ということが

いかに奇跡的なことであるかと考えさせられます。

また、幾重にも情報やメッセージが抜けたり漏れたり

変質したりする構造的な宿命を背負いつつも、

人類は何とか意思を疎通させ協力することに成功している。

何と凄いことだろうかと思います。

人間、言語、コミュニケーションとは何と興味深い営為であろうかと

思う昨今です。

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