八月十三日 虚体と身体 の事
手術前の検査を受けた。外科の執刀というのはやはり体力がなければ務まらない仕事であるのだろうとあらためて思う。
旧患部にある壊死した骨の塊をなんと呼んでいたのか? 説明を受けたはずだが思い出せない。マジックペンでマーキングをしてもらいながら、生検をしたのは少し上のところだったのだと思いあたった。
帰り際に菓子折を渡しながら、両親の葬儀といい、己の世事の疎さを想わずにはいられないのだが、多くの医者というのは、かくも紳士的な人ではあるのだろう。
「君みたいに」
病室に戻りパソコンを開いてニュースを観ようとしたがまったく頭にはいらない。情報がただ身体を素通りしていった。
揺らがないと思っていたのに、おれは揺らいでいる。
人はブレる。このブレもまた、己の生の鼓動ではないのか。ブレる己ごと引き受けることが、生きることではないのか。
埴谷雄高を読み返した。虚体は死ではない。観念にも身体性があるのか。己は観念であり身体でもあるのか。実体であり実態であるのか……。
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