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俵万智『愛する源氏物語』

この記事は、日本俳句教育研究会のJUGEMブログ(2018.11.03 Saturday)に掲載された内容を転載しています。by 事務局長・八塚秀美
参照元:http://info.e-nhkk.net/

第14回紫式部文学賞授賞作品。
『源氏物語』に関する本は数多く出されていますが、本書は、『源氏物語』に出てくる和歌を取り上げて、そこから物語や作中人物を詳らかにしていこうという趣向の一冊です。

俵万智さんと言えば、すでに与謝野晶子の『みだれ髪』の全首を、現代の五七五七七に詠み訳した圧巻の『チョコレート語訳 みだれ髪』でも有名ですが、『愛する源氏物語』も同じ方式で、和歌が現代の短歌に万智訳されています。

例えば、紫の上と光源氏の最後の相聞

おくと見るほどぞはかなきともすれば風にみだるる萩のうは露 紫の上
はかなさは私の命と似ています風に乱れる萩の上露 (万智訳)

ややもせば消えをあらそふ露の世におくれ先立つほど経ずもがな 光源氏
ともすればはかない露のような世にあなたに後れて生きたくはない(万智訳)

光源氏は、紫の上の気持ちよりも「力点が『残された自分』にある」と指摘したり、結局「出家を許されなかった紫の上は、もう死ぬことでしか光源氏から自由になれない」「死もまた一つの救い」などと展開されていき、和歌から登場人物たちを読み解こうとしている点が大変新鮮です。このような和歌はこのような心情から生まれる……と、和歌を中心に置くことで理解できてくる登場人物というのを興味深く読み進めていきました。

宇治十帖の、浮舟についても、彼女が薫と匂宮のどちらを思っていたか、が和歌から解き明かされていき、目からウロコの終着点でした。

ついつい重きをおかず、通り過ぎてしまっていた『源氏物語』の和歌ですが、会話よりも先にあった和歌の存在を思うとき、やはり、このアプローチは見過ごしにできないなと改めて感じました。歌人ならではの視点の和歌から浮かび上がる新しい『源氏物語』論でした。