小山田浩子『穴』
第150回 芥川龍之介賞作品です。
まさに、私自身までもが穴におちてしまったような……不思議な心持ちになる作品でした。本文の中に、『不思議の国のアリス』のウサギについての言及があるのですが、まさに、現代版の『不思議の国のアリス』と言えるような、現実と異界の交差を描いているようで、煙に巻かれたような後味で読み終えました。
物語は、夫の転勤に合わせて非正規の仕事を辞めて、夫の田舎に移り住んだ私が主人公。蟬の声をBGMに過ごしていく暑い夏の日が描かれていきます。主人公は、急に「穴」のような時間を手にしたわけですが、そこで彼女が出会う
1見たこともない黒い獣
2黒い獣を追って落ちた穴
3義兄を名乗る知らない男
4夏休みで田舎暮らしを謳歌する小学生たち
が、意味深です。いったいこれらが象徴しているものが何であるのか……。また、
5甘いお香の匂いが漂う世羅さん
6庭の水撒きに励む寡黙な義祖父とその死
がどこまで現実なのか……。
彼女が就職を決めるラストまでに、すくなくとも彼女の見ていた1~4が現実世界のものではなかったことは示されるのですが、謎解きや匂わせるようなものはありません。
しかし、それらがそれぞれに象徴するものが具体的にあるのではなくて、再出発までの時間そのものが「穴」であって、彼女自身が「穴」の中にいることを欲し、そこで見たいものを見ていた小説のではないか……と考えると腑に落ちたような気がしました。人間だれもが欲しているモラトリアム期間のようなものが「穴」であり、読者それぞれが、自分自身にとってのぽっかりあいた「穴」のような時間の必要を思ったり、追体験したりすればよいのでは……と感じさせられた小説でした。