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中学生|主体的・対話的で深い学びを実現する俳句の授業 コロナ禍におけるICT活用の実践②

この記事は、日本俳句教育研究会のJUGEMブログ(2022.04.07 Thursday)に掲載された内容を転載しています。
参照元:http://info.e-nhkk.net/

nhkk事務局スタッフ:
昨日に引き続きまして、東京都立大泉高等学校附属中学校の石鍋雄大先生の実践報告の第二回です。


(2)授業の実際

 第1時は、俳句作りのポイントである「季語の本意[3]」を理解するためには季語を体感することが必要だと考え、校庭に出て季語を感じてもらった。「落葉」を選んだ生徒は拾ったり、蹴飛ばしたりしながら「思ったより触覚が多くてびっくりしました。重なった落ち葉はふわふわした」「意外と落ち葉がパリパリしていて、何かが壊れるような感じがしたのが面白かった」など、想像していたよりも落葉のイメージに触覚が関わっていると感じていた。授業開始時点と終了時点の六角成分図は変化していることが多く、季語を深く理解したと言える。この授業をもとに行った句会では、季語の本意を理解した俳句が多く見られ、上位句には、次のような俳句があった。「日向ぼこ眩しい日差しと体育と」「白黒のジムの広告冬の空」「かすんでるやまってどんな色だろう」。

 第2時からは、緊急事態宣言発出に伴いオンライン授業が始まったため、動画を配信し、簡単な感想やコメントをMicrosoftFormsで回収するという形の授業を中心に行った。

 動画配信と並行して行った「夏雲システム」での句会は、俳句に評を付けたり「談話室」という場で感想を述べ合うこともできる。これらを生徒は自発的に行っており、時には厳しい意見や評も飛び交っていた。週に1度程度の開催予定だったが、運用が簡便なため、予定外の句会も開催した。「遠足で必ず落とす卵焼き」という俳句に対し、本人が「今回本当は卵焼きがもっとコロコロ落ちていくのを表現したかったのですが、字数を合わせるのが難しく断念しました・・・」というコメントをしたため、その意図をよりよく表現した俳句を作るための句会を開いた。

 「遠足や卵焼き先に下山する」「春風につれられてゆく卵焼き」「遠足の卵焼き食ふ大地かな」などのおかしみのある俳句に加え、「遠足で まわるまわった きやごまた」という転がっている玉子焼きを表現するために「きやごまた」と逆から表記したり、「遠足や転がっていくた ま  ご   や     き」などと徐々に速度を上げて遠くに転がっていく様子を空白で表現したりなど、様々な工夫を凝らした投句があり、主体的に取り組んでいたと考えられる。この句会に参加したことで技術的に向上をしたと考えられる生徒も多くいた。

 本の内容である三句選び、評をつける活動は、1〜3組をそれぞれ日本の美の典型である「雪」「月」「花」に分けて行った。インターネットや句集の中から、作品を選び、タブレットなどを使用しクラスで共有した。その中から、自分が良いと思う作品を三句選び、評をつけた。生徒たちが選んだ俳句や評を見ると、中学生の考える日本美がどのようなものなのか垣間見ることができたように思う。それぞれの評には独自性が現れながらも通底するものもあり、生徒は俳句と評を読み合うことを通じて、感性を交流することができたと考えられる。

 また、生徒自身もテーマである雪月花にちなんだ一句を詠んだ。生徒の作品には生徒同士で評をつけたのだが、その評の内容は作者が想定した内容を超えた鑑賞になっているものも多かった。ことばによって表現することの面白さと、自分の思った通り伝えられない難しさを同時に感じることができていた。

 本の作成の際は、委員を募り、生徒に校正や編集、カバーデザイン、タイムマネジメントや連絡なども行ってもらった。全員が俳号で作業を行っていたため一部連絡の不備があったり、機器不良から作業の遅延なども発生したが、自分たちで解決する姿が見受けられた。教員としては、全体の流れの把握と調整をする程度であった。

 作成した句集は、以下の画像のようなものである。印刷会社に発注をかけ生徒分を購入した。コロナ禍で失われてしまったイベントの代替として、生徒の良い思い出になっていればと思っている。

[3] 我々が共通の認識としてもつ季語の最もそれらしい在り方のこと。

■カバー

■クラス表紙



■日本俳句教育研究会(nhkk)
「俳句」を教材とした様々な教育の可能性を研究する日本俳句教育研究会は、「俳句」を教材に教育活動を展開しようとする教師や俳句愛好家の情報交換の場になりたいと活動する任意団体です。

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