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森博嗣『トーマの心臓 Lost heart for Thoma』

愛と孤独、生と死に苦悩する若者の内面を森博嗣的世界観で描いた傑作。萩尾望都の名作コミックを森博嗣が小説化!
『トーマの心臓』の美しさの本質を再現したかった ー森博嗣
読み終わるのが惜しくなるような、澄んだ美しい物語でした ー萩尾望都

帯より

萩尾望都さんの『トーマの心臓』が、森博嗣さんによって小説となっていたことを今さらながらに知り、手に取りました。
萩尾さんの作品はどれも重厚で、純文学を読んだような読後感を抱かせてくれるのですが、私にとって『トーマの心臓』は、『銀河鉄道の夜』の

僕はもうあのさそりのようにほんとうにみんなの幸のためならば僕のからだなんか百ぺん灼いてもかまわない。

宮沢賢治『銀河鉄道の夜』

というジョバンニのセリフを彷彿とさせる物語でした。森さんの作品については、ロジカルな思考と、形而上的な思想との配合が絶妙面白いな、と思っていたので、萩尾コミックがどのように料理されるのか楽しみに読み始めました。

小説は、舞台を日本にうつしてオスカーの一人称で進行していく物語となっていましたが、萩尾作品にあった、トーマの自己犠牲的自殺はそのまま踏襲されていました。

トーマはユーリを救おうとしていたのではないか(略)トーマは自分の命を懸けたのだ。まるで、人々の罪を背負って死んだキリストではないか。
*****
そう、あれはメッセージだ。自分の命を最大限に利用した補強。なにかを補強しようとした。自分の気持ちを?(略)稚拙で、独り善がりで、いかにも子供らしい発想だとは思うけど、しかし、彼にとっては、それこそが真実であり、正義であったはず。正義以外に、自分の命を消し去れるものが、はたしてあるだろうか。
「トーマは、僕のために死んだんだ」ユーリが囁いた。

そして、トーマの死の真意を受け止め、聖職者になることを決めるユーリ、という筋書きも変わらないのですが、森さんならではの青年期の葛藤も随所に描かれていました。

目に見えない檻に入れられているってこと。家族とか、学校とか、親戚とか、そういうのもあるし、それから、えっと、法律とか、それに、そう、国家とか。ね? 枠組みに囲まれているだろう? 自由なんてどこにもないよ。せいぜい、こうやって、この程度に自分の躰が動かせるくらいじゃないか。

オスカーにとっては「失われた家庭、あるいは友情というものを、無意識のうちに、唯一彼に求めていたかもしれない」存在であるユーリ。ユーリの心の傷には、誰もが経験する青年期の傷が重ねられていきます。

じわじわと時間をかけて、氷が解けるように崩れ去るものなのではないか。子供、少年、童心、無邪気、甘え、素直、消えていくそんなものたちの影。それらを持ったままでは生きられないのだから、いつかは脱皮するように、払い落さなければならないものなのか。

そしてオスカーは、学校を去るユーリの選択を、「現世に決別して、この世と天国の中間に位置するような、そんな世界へ行こうとしている」と理解していくのです。

神様も、信仰も、信念も、それから、虚構も、全部言葉だけのことだった。(略)躰も言葉と同じように、この世の借りものだからね。(略)この躰に、どうして、僕の心は留まっているのだろうって……。(略)僕の心は、ここから出ていくわけにいはいかないんだ。救いようがない不自由さだけど、そういう仕組みなのだから、しかたがない。折り合いをつけていくしかない。そう考えると悲しくなるけれど、でも、きっと、それが人間というものなんだね

「綺麗なものが、だんだん失われていくことは少し寂しい」と思いながらも、「乗り越えなければならないもの」や「自分が進む未来を見」ようとするオスカーに、清々しさを感じた森博嗣解釈の小説『トーマの心臓』でした。(八塚秀美)