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角田光代『対岸の彼女』

この記事は、日本俳句教育研究会のJUGEMブログ(2023.03.25 Saturday)に掲載された内容を転載しています。by 事務局長・八塚秀美
参照元:http://info.e-nhkk.net/

第132回直木賞受賞作品は、小夜子と葵(アオイ)とナナコという女性たちの物語です。

主人公は、育児にも家事にも非協力的で、妻の仕事を見下している夫のもとで子育て中の小夜子です。30歳を過ぎた彼女は、女社長の葵(偶然にも同い年で同じ大学)が経営するプラチナ・プラネットで働くことを決めるのですが、この小夜子の物語と交互に描かれていくのが、葵の女子高生時代のエピソードでした。現在と過去を行きつ戻りつしながら読み進めるうちに、現在の葵が高校時代のアオイ(小夜子のような存在)とは大きく違っていて、むしろナナコのようなキャラクターに変化していることに気づかされ、葵のナナコ化の原因をさぐる読書となりました。

いじめから逃れてきたアオイと、空洞を抱えてどこにも属さないナナコは、人知れず友情を育んでいくのですが、強い絆で結ばれながらも、二人の起こした事件もあり離れてしまうことになります。その後二人は会うこともなく、一見亀裂が入ったようでしたが、現在の葵の選び取った旅行関係の便利屋という仕事や社名が、ナナコとの時間から生まれたものだったという心憎い仕掛けには心が温かくなりました。またラストに差し込まれた、対岸にいたアオイとナナコに小夜子が合流していくイメージも、人と関わることに疲れていた小夜子が、信じることを手に入れた葵に重なっていくようで、彼女たちが自分で捕まえていくだろう未来の確かさを見たように感じました。

結局さあ、私たちの世代って、ひとりぼっち恐怖症だと思わない?

ひとりでいるのがこわくなるようなたくさんの友達よりも、ひとりでいてもこわくないと思わせてくれる何かと出会うことのほうが、うんと大事な気が、今になってするんだよね。

自分がやりたかったのはこういうことだった。立ち止まる前にできることを捜し、へとへとになるまで働き続け、その日の終わりに疲れたねと笑顔でだれかと言い合うことー

なぜ私たちは年齢を重ねるのか。生活に逃げ込んでドアを閉めるためじゃない。また出会うためだ。出会うことをえらぶためだ。選んだ場所に自分の足で歩いていくためだ。