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早見和真『イノセント・デイズ』

この記事は、日本俳句教育研究会のJUGEMブログ(2022.07.10 Sunday)に掲載された内容を転載しています。by 事務局長・八塚秀美
参照元:http://info.e-nhkk.net/

前回の『八月の母』の帯にあった『イノセント・デイズ』の文言に興味を引かれ、(順番は逆なのだろうと感じながらも)手に取りました。第68回日本推理作家協会賞受賞作です。

冒頭のプロローグで、主人公の凶行が示され、死刑の宣告がなされた上に、私生児として出生した過去や、母が十七歳のホステスであったこと、養父から虐待を受け、中学で強盗致傷事件を起こしたことなどが明らかにされます。しかし一方で、冒頭の彼女のイメージとはどうにも違和感のある、犯罪者らしからぬ彼女の様子が描写されていくので、読者としては、「イノセント」というタイトルが、どのように彼女に掛かっていくのか、その謎に引きつけられたまま読み続けていくことになりました。

物語は、産科医、義姉、中学時代の親友、元恋人の友人、幼なじみの弁護士、刑務官ら、彼女の人生に関わった人々の追想から、彼女の人となりと真実を詳らかにしていく構成でした。そして、ラストには衝撃の真相が待ち構えているのですが、その結末以上に驚かされ、また、悲哀を感じずにいられなかったのが、「イノセント・デイズ」が、この事件だけについてではなく、彼女の人生全てに対して掛かっていくものであったという真実でした。

「無実の」「純潔な」の両方の意味で「イノセント」でありながらも、決して救われることのない彼女。ままならない運命を背負って逃れられない彼女の人生は、あまりにも悲しいものですが、そんな中で、彼女自身が求め続けながら決して手に入れられないと諦めていた「君が必要」と言ってくれる存在を得、望み通り絶望する人生を終えられるという結末は、作者が彼女に与えられるかすかな救いだったのかもしれない……と感じずにはいられませんでした。

読み終えて、『八月の母』の冒頭で、さらりと登場していたとあるニュースの続報が、『イノセント・デイズ』の事件の続報だったのだ、と気づいた時、「必要とされることを欲せずにいられない人間」や「無辜の人間の犠牲」という両作品を繋ぐテーマが浮かび上がってくるように感じました。続報の書き込みは、『イノセント・デイズ』のその後を知りたい読者たちへのサービスを越えて、無責任な世間の正義感や、社会の無関心、そして、空虚さという早見作品が持つ空気感をよりリアル読者に手渡す道具でもあったのでしょう。