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あのときメモは切符だった

いつの日からかメモを
とるのが癖になっちゃったんですね。

気が向いたときに書いている
このnoteの記事もメモの抜粋なんだけど

実はメモをとるようになった
きっかけがあるんです。

今日はその話。

みなさんはメモに対してどんな
イメージありますか。
伝言だったり記録だったり
まぁ様々ありますよね。

メモは第2の脳みそ
なんて言葉もよく耳にしますよね。

今言った全部ね
メモをする理由として正しいというか
至極真っ当な意見だと思うんです。

第2の脳みそ
だなんてよく言いあてたなって思います。
本当にそうだよな、と。

ぱっと閃いたアイデアだとか、考えだとか
この自分の大切な財産というのは
思いついた3秒後には忘れていきませんか?

ぼくは、片っ端から忘れていきます。
結構異常なぐらいかも。

だから、忘れてしまってもいいように、そのときメモに時間をかけられないときには、思い出すためのインデックスみたいな、殴り書きの短文メモをかいて、後から見て思い出して詳細を書くみたいなことを毎日繰り返しています。

メモをかいてる最中も、何かを思いつくもんだから、忘れてしまわないように、下に殴り書き。もうこれの繰り返しです。

ぼくはアイデア以外のことも
片っ端から忘れていくやつで

例えば同窓会で当時の思い出なんかをみんなが話してるときに、僕だけ、全く覚えてないんです。新しいドラマみてるみたいに楽しく聞けて、それはそれでいいんだけど、頭のつくりがよくないのか、とにかくよく忘れるんです。

だから、今ぼくはたぶん
第2の脳みそとしてメモをとってます。

でもね、今から8年前かな
メモをとりはじめたときは
違ったんですよ。

よく父に、思いついたアイデアだとか感じたことなんかを聞いてもらいたくて、すぐ話してたんですね。原液のまま。その度に父は楽しく聞いてくれて、絶対こう言うんです。

「メモとった?今のこと。」

ぼく頭にきちゃってね。これ言われるたびに不機嫌になってたんです。

いつもこの繰り返しでした。

思いつきますよね。
父に聞いてもらいたくなりますよね。
アイデア、考え、話しますよね。
父は、おもしろそうに聞いてくれますよね。

それで、やっぱりこう言うんです。

「メモとった?今のこと。」

ぼくはもっと奥の話をしたくて
父の感想を聞きたくて話してたのに
言われるのはメモをとったかの確認。

だからこのときなんですよ。
メモをとっておけば
このセリフを封印できるかもな
って思いついたのは。

そしてメモをとるようになったんです。
すると父はようやく奥の話をしてくれるようになりました。

メモが父の話を聞くための切符になってたってことなんですよね。

父の話がやっぱりおもしろくてね。
知見が広がるんですよ。

この8年前の思い出を父に話したらね

「なんかおれは、親として息子の話を聞かない最低な親だって言われてるように聞こえるなぁ」

って笑ってたんですが

でもこれ、果たしてそうなんでしょうかね

たしかに一般的にはそう思われるでしょうね。

でも、アイデアは財産であるということをぼくに教えるための、実に効果的な教育だったんじゃないのかなって思うんですよね。

教育って、ただ相手に求められてることに素直に答えるだけじゃないんだなー、ってまぁこんなの当たり前ですけど、このときに肌感で学びましたね。

たぶん、なんのストレスもなく父がぼくの話に対して感想を言ってたら、ぼくは今でもメモをとることはなかったでしょうし、言ったことはもう片っ端から忘れてしまって、大切な言葉や体験を一つ一つ日常に落としてしまっていただろうなぁ。

ここで学んだ一番大きなことは何かと言うと、自分の目的を達成させるための手段は、時として想像がつかないものであるということなんですよ。

「父の感想を聞きたい」という目的が
「自分のアイデアをメモする」という手段で
達成できたんですよ。

関連性低いじゃないですか。

まぁなかなかの特殊解ですが
世の中、特殊解だらけですよ。

だから手段を解放しておくことは
目的を達成させるために
大切だなあと思うんです。

建築を学んで

建築の職について

改めて

ぼくにとって建築って

目的?それとも手段?



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