見出し画像

私、壇蜜にはなれないので、檀家になりました

私の行きつけのBAR

「マスター、いつものアレお願い」

こんな風にカウンター越しに、お気に入りのカクテルを注文できる隠れ家的なBAR。
いわゆる「行きつけのBAR」と呼べる店と出会うのが、ずっと夢だった。
2度目の成人式も過ぎた2015年の早春、ようやく念願が叶って、私にも行きつけのBARができた。

行きつけと言っても、週に何度も入り浸るようなことは無い。
無いというか、できないのだ。
というのは、このBARの扉が開くのは、多くても月に数回。
特に曜日や日にちは決まっておらず、不定期オープン。
告知は、マスターが作成されるFacebookのイベントページのみ。
たまたま通りがかって、BARの看板を見つけた人がふらっと入ってこられることもあるが、基本的にはFacebookで繋がっている人と、その人から誘いを受けた人だけの、知る人ぞ知る秘密の隠れ家的なBARなのである。

私がこのBARの存在を知ったのは、まだ正式にオープンされる前だった。
マスターのNさんとは、2014年9月にとあるトークイベントで初めてお会いした。
Nさんは気さくで話しやすく、私はすっかりファンになった。
その後、年末にもイベントでお会いする機会があり、Nさんが2015年2月にBARをオープンされるという話を聞いた。
行きつけのBARを持つのが夢だった私は、興味津々だった。

2015年1月末、初来店

年が明けて、2015年1月末。
プレ・オープンの日に、私はさっそくNさんのBARにお邪魔した。
表の大きな扉を開けて敷地内に入ると、庭の左手に蔵を改装されたBARがあった。
大人の秘密基地というイメージがぴったりの素敵な空間だった。
たくさんのグラスやボトル、アンティークな置物が並んでいた。

私はモスコミュールを注文した。
そして、Nさんにある相談を持ちかけた。

「こんなことできるかどうかわからなくて、もし失礼なことを訊いていたらすみません。実は、うちの家がおばあちゃんの代からお世話になっているお寺があるんですけど、ぶっちゃけ言うとあんまり気に入ってないんですよ。
Nさんとご縁ができたのをきっかけに、もしご迷惑でなければ、Nさんのお寺に変わらせてもらいたいんですが、そんなことってできますか?」

行きつけのBARはお寺の中!?

実はこのBARは、お寺の境内にある。
そして、Nさんの本職は、このお寺のご住職。つまり、お坊さんだ。
Nさんの経歴はとてもユニークだ。住職となる前は、旅行代理店、文具店印刷業、バーテンダー、カジノディーラーなど、アルバイトを含め数多くの職歴をお持ちで、バーテンダーの経験が住職の次に長いらしい。

月替わりのテーマでの座談会や、本堂での若手音楽家のコンサートとご住職の法話など、「開かれたお寺」として、誰もが気軽に足を運べるような場づくりを日々実践されている。

蔵を改装してBARを始められたのも、バーテンダーの経歴が長いNさんならではの、ユニークで親しみやすいスタイルだと思う。
法事以外でも、檀家でない一般の人でも気軽に足を運べて、楽しいひと時を過ごせる、まさにコミュニティーサロンとしてのお寺BAR。
法務の合間を縫っての月に数回の不定期オープンだが、仕事や恋愛の悩みを打ち明けたり、Nさんといろいろな話をするのを楽しみにされている方が多い。
気候の良い時期には、庭のテラス席までいっぱいになることもある。

近くて遠い、お寺とお坊さんの存在

近年、お坊さんが多数出演するバラエティ番組が人気を呼び、お坊さんを身近に感じる人も増えてきているかもしれない。しかし、お寺やお坊さんとは葬儀と法事の時だけのお付き合いだという人も、まだまだ多いのではないだろうか。さらには、葬儀自体の簡略化も進んでいるという。

京都市内には、1600を超える数の寺院があると言われている。
お寺が心の拠り所となるような、普段からもっと気軽に足を運べる場所であれば、現代人の悩みの何割かは解決するのではないかと、私は以前からずっと思っていた。

ご住職のNさんと出会ったのは、「ぶっちゃけボンさんと語ろう会」というイベントに参加した時だった。このイベントは、宗派を超えたお坊さん数名が、お寺を飛び出して、飲食店で膝を突き合わせて、ざっくばらんに語り合えるスタイルで開催されたものだった。

Nさんのお寺は、たまたま我が家がこれまでお世話になっていたお寺と同じ宗派だったことがわかり、これも何かの縁だと思った。
せっかく、開かれたお寺を実践されているお坊さんと出会えたのに、自分の家がお世話になっているお寺は旧態依然のタイプだということが、私は残念でもどかしくてたまらなかった。

壇〇になる作法

Nさんが主催者側におられるイベントに何度か参加するうちに、その気持ちが抑えきれなくなり、私は思い切って母に切り出した。

「なぁ、お母さん。最近イベントで知り合ったお坊さんがすごく親しみやすい人で、うちと同じ宗派やってわかったんやけど、うちが今まで法事とかお願いしてきたお寺って、変われへんのかなぁ?」

「今までのお寺には特別な縁があるわけでもないし、もうおばあちゃんも亡くなってうるさく言う人もいーひんし、変われる方法があるんやったら別にええで。どないしたら変われるんか、Nさんに訊いてみたら?」

母の答えは、とてもあっさりしたものだった。

私は蔵を改装されたBARでモスコミュールを飲みながら、Nさんに今のお寺からNさんのお寺に変わりたいということを打ち明けた。
そもそも、そんなことは可能なのか? 可能だとして、どうすればできるだけ穏便に変わることができるのか、教えてほしいと頼んだ。
夏には祖母の十三回忌をと考えていたので、それまでにはNさんのお寺に変わりたいという希望があった。

変わることは可能だと、Nさんは言われた。
ただ、できるだけ穏便に変わるには、ちょっとした作法があると付け加えられた。

その作法について詳しく聞くために、後日改めて、母と一緒にNさんのお寺を訪ねることとなった。
ご住職と、ご住職のお母様が対応してくださり、これまでお世話になっていたお寺へ挨拶に行く際の作法を、丁寧に教えてくださった。

そして、Nさんのお寺で教わった通りのものを準備して、これまでお世話になってきたお寺に、母と一緒にご挨拶に出向き、無事とても穏便にお別れをすることができた。

壇蜜にはなれなくても

Nさんのように開かれたお寺を実践されているお坊さんとは、別に檀家にならなくてもイベントなどで交流できる。しかし、私は正式に檀家になった
決して信心深い方ではないが、微力ながらこういったお坊さんの活動を応援できているとしたら嬉しいと、いつも母と話している。

檀家だったお寺を移籍するなんてできないと思っている人、お寺やお坊さんに良いイメージを持っていない人も少なくないかもしれない。
でも、Nさんのようなお坊さんも懸命に活動されているし、私たちが望むならばお寺を変わることも、新たにゼロから檀家になることだって、不可能ではない。
妖艶な壇蜜にはなれなくても、檀家になることなら可能だ。

ちなみに、タレント・壇蜜の芸名の由来は、仏教用語を参考にご本人が考えたというのは、結構有名な話。「壇」は仏壇を意味していて、「蜜」は、仏壇に供えるお供え物のこと。ご存じの方も多いと思うが、念のため。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?