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地域における介護の日本語教育とは?

久しぶりの投稿です。

ここのところ、地域の中でどのように学びの場を構築していくかに頭を悩ませており、もやもやとしてなかなか書けずにいました。今回は、その取り組みの一環でもある介護の技能実習生のための日本語教育について書きたいと思います。

私が暮らす地域には、いくつかの福祉施設があるのですが、そこではEPA候補生や技能実習、特定技能といったいわゆる「介護人材」と呼ばれる人たちが働いています。高齢化率が5割を超える地域にとって、貴重な働き手です。私は、その中の技能実習生の日本語教育を担当しています。

一期生が配属になってから3年近く経ちます。来日と新型コロナウイルスのパンデミックが重なってしまい、なかなか大変な時期でした。私にとって、はじめての介護の日本語教育ということもあって、手探り状態の取り組みでした。しかし、入国後3年間のプロセスを伴走し、ようやく方向性が見えてきたように感じています。まだまだ試行錯誤は続いている状態ですが、今回はこれまでの取り組みから考えたことについて、一旦まとめておきたいと思います。

介護の技能実習生のための学習環境

まずはじめに、日本語教育の前提となる学習環境について簡単に説明したいと思います。

介護の仕事の中で、特に大変だなあと思うのは、勤務形態です。介護の仕事は、365日24時間休みがありません。夜勤や早番など、時間帯も休日もバラバラです。全員が同じ時間に集まって勉強をするというのは、現実的に難しい状況です。

このような状況を鑑み、学習が継続的に行えるよう、非同期型のオンライン学習を提案しました。学習に使用できるデバイスは、個人所有のスマホに限られていたため、スマホを使って、いつでもどこでも学習できるように環境を整えることが、はじめのステップでした。

そして、複数ある施設のスケジュールを調整し、月1回だけ、全員が集まって対面授業ができるようにしていただきました。この対面授業で、1か月のオンライン学習を回収するイメージです。言ってみれば、壮大な反転授業になります。

そうはいっても、仕事をしつつ、日本語学習も続けるというのは、相当なモチベーションが必要です。これまで、留学生を対象としてきた私にとって、ここがいちばん苦労したところです。留学生だったら、ある程度、学習を強要できますが、技能実習生の場合、勤務外の学習になりますので、個人の自主性に委ねられます。学習コンテンツにもさまざまな工夫が必要でした。

また、スマホの扱いにも、個人差がありました。所有するデバイスの性能の差異だけでなく、アカウントの管理やツールの使い方など、オンラインならではの問題も発生しました。(が、今はうまく使いこなしています)

こんな感じで、学習環境を整えることにかなり苦心しましたが、このような学習環境を提供することの意義を各施設にもご理解いただき、二期生についても、技能実習の1号、2号に該当する3年間、継続的に学習プログラムを運営する体制を整えていただけることになりました。受け入れ施設配属後に、このような学習の機会が提供されているのは、非常に恵まれているのではないかと思います。

「介護の日本語」とは?

学習において、学習目標や内容などのプログラムをどのように設計するかは、最も重要な部分です。この部分も試行錯誤を繰り返しましたが、今では、だいぶ方向性が定まってきました。

「介護の日本語」に関わり始めた当初は、介護に特化した学習プログラムにしなければと気負っていたのですが、最終的に本来自分がやりたいと思っていた日本語教育の形に落ち着いてきたように思います。二期生に対しては、「話す」「読む」を中心に以下のような目標を立てています。

  • 自分の経験や考えをわかりやすく伝えることができる

  • 専門的な内容について書かれた文章が理解できる

このような目標に辿り着いた経緯について、少し説明します。

はじめは、介護施設から依頼のあった日本語教育ですので、「介護」に関係することを行うべきだろうと考えていました。介護についていろいろと勉強しましたし、さまざまなテキスト分析もしました。しかし、どれもしっくりきませんでした。何しろ、私自身が介護現場を知りません。その私が「介護の日本語」を行うことに違和感や不安も感じました。ちょうど、新型コロナウイルスのパンデミックと時期が重なってしまったため、施設内を見学させていただくことも難しくなりました。

そこで、「日本語教育」という側面から、受講生の言語活動を支えるにはどうすればよいか、という視点でプログラムを練っていくことにしました。「介護」の専門領域については、OJTで仕事をしながら学ぶことができますし、専門領域については専門家に任せるべきだと割り切ることにしました。

視点を変えてみるとやるべきことがたくさん見つかりました。「介護」は、生活全般に関わる仕事ですから、生活の中のありとあらゆることが学びの対象になります。日本の介護の重要な理念に「自立支援」という考え方がありますが、まず、支援に関わる人自身が、「自立」できていなければ、「自立支援」につながらないのではないかと考えました。

「自立支援」のための「自立支援」。これが私のテーマになりました。そして、そもそも「自立した生活」ってなんだろう?という新たな問いが生まれました。

奇しくも、「日本語教育の参照枠」や「CEFR」で設定されているBレベルには、「自立した言語使用者」という表現が使われています。B1、B2レベルには、さまざまな「Can-do(できること)」が示されていますが、これらができるようになったとして、果たして「自立している」と言えるのだろうかという疑問も生まれました。「自立」というならば、まず、自分自身に選択権があり、自分で意思決定ができることが重要なのではないかという考えに至りました。

そのためには、学び方から考える必要があります。ただ、指示されたことを指示されたとおりにやるだけでは「自立」とは言えません。自分は何をしたいのか、そのためにどんな学びが必要なのかを、自ら考えられるようになることが必要だと思いました。しかし、これはなかなかハードルが高い目標です。

「自立とは何か」については、今なお、自問自答が続いています。当初考えていた声かけの方法や介護に関する専門用語を学ぶという方向性からは、かなり変化しましたが、まずは、自分自身や自分の経験についてしっかり語れるようになることから始めてみようと思いました。自分が何をしたいのかを考えるきっかけになると思ったからです。

また、「読む」ことにも力を入れています。将来、介護福祉士の国家試験に合格したいと考えている受講生も多いのですが、国家試験には、高度な「読む」力が求められます。しかし、日常の業務では、耳からのインプットが多く、聞いた言葉と文字化された言葉とにギャップがあるように思いました。利用者さんに対して使用することばと専門用語との乖離もあります。自分の経験と専門知識をつなぎ、再構築するためには、意識的に「読む」ことの支援が必要だろうと考えました。

日本語学習の意義とは?

オンライン学習というのは、モチベーションを保つのが非常に難しい学習形態です。特に、仕事がメインの実習生にとって、仕事以外で学習の時間を確保するのは、とても大変なことです。自らアクセスしなければ、何もしないまま流してしまうことができます。これは、自分に置き換えてみてもよくわかります。そこで、「学びたい」という動機づけが大切になってきます。

受講生に「なぜ日本語を学ぶのか」という問いかけをすると、大概「日本語能力試験のN3に合格したい」「N2に合格したい」という答えが返ってきます。これは、介護の技能実習制度では、「技能実習2号」の在留資格を取得するための条件としてN3合格が明記されているので、当然の答えだと思います。(今はだいぶ条件がゆるくなっていますが、原則は変わっていません)日本語能力試験の社会的価値も高いので、そこを目標にしたいと思うのも理解できます。

また、「日本語学習」というと、自分の経験から言葉を切り離し、試験に出題されるかもしれない語彙や文法を覚えたり、試験対策をしたりすることだと考える学習者が多く、自分の経験を言語化したり、自ら学び方を考えたりすることは、日本語学習ではないと感じるようです。

しかし、日本語能力試験のN3に合格することと「自立」は方向性が異なります。介護人材受け入れ制度のために設計された、誰か他の人が決めた基準に自分を合わせるのではなく、自分は何をしたいのか、そのためにどんな学びが必要なのかを、自ら考えられるようになることが、やはり必要なのではないかと思っています。

3年間という実習期間を伴走してみて思ったのは、「試験に合格する」という目標だけで、「学びたい」というモチベーションを保ち続けるのは、難しいということです。試験に合格した先を見据え、将来のキャリアを視野に入れることによってはじめて、長期間の「学び」のサポートが可能になるのではないかと思うようになりました。

技能実習生として来日する人は、20歳前後の社会経験の浅い人も多く、これから自分のキャリアを築いていくことになります。日本での経験や技能をどのように将来に繋げるのかを考えることは、「技能実習制度」の本来の意義ではないかとも思います。

このように自分のキャリアを定期的に振り返る場として、日本語学習を位置付け、学習の動機につながるようにしたいと考えていますが、「日本語能力試験に合格したい」という動機も無視することはできません。方向性の異なる2つの学習にどう折り合いをつけ、プログラムを考えていくのか。これもまた、簡単なことではなく、未だに試行錯誤が続いています。

サードプレイスとしての学びの場

このような試行錯誤の繰り返しではありましたが、依頼主である各施設は、大変ありがたいことに、教育プログラムをほぼ全面的に私に任せてくださいました。そして、クラスを重ねるうちに気がついたのが、日本語を学ぶ場が、受講生にとってのサードプレイスになっているという現実です。

各施設に配属になった受講生たちは、シフトがバラバラですし、普段あまり顔を合わせることがないようです。月に1回、全員が一箇所に集まって自由に話ができる機会をとても楽しみにしているようでした。

オンラインでの学習の様子を観察していると、勉強したいという気持ちがあっても、日々の忙しさに流されてしまって、なかなか取り組めないという実態が散見されます。しかし、月1回の対面授業の前後は、オンラインのアクセス状況が向上します。月1回ではありますが、自分を振り返るきっかけになっているのではないかと感じます。

こう考えると、「日本語クラス」が、一旦、仕事から離れ、自分の経験や将来について考えたり、じっくり話し合ったりする場になり得るのはないかということに気がつきました。そして、ワクワクしながら参加できる学習の場を創造していくという視点も必要だと思い始めました。

さらに、「自立した生活」のためには、地域の人に、自分たちの存在を知ってもらい、自ら住み良い場を切り拓いていくことも重要だと考えました。そこで、地元の小学校に掛け合い、「国際理解教室」として、交流の場を設けることにしました。この交流会については、また改めて書きたいと思いますが、実習生が主体となって場をつくるという非常に意義深いものになりました。

この交流会がきっかけとなり、地域住民とのつながりの場が生まれる兆しも見えてきました。

このようにいろいろな回り道をしながら、学習プログラムを考えてきました。今では「介護」の日本語といえども、私自身が介護の専門家である必要はないと思っています。むしろ、依頼主や受講生とやりとりをしながら、日本語教育で培われた知見を提供するという関わり方が重要ではないかと思っています。私のことを信頼し、教育を一任してくださった各施設長や担当者の方の理解が欠かせませんが、このような感覚を得ることができたのは、私にとって大きな収穫でした。

このような協力体制が構築できれば、日本語教育という分野が、制度や就労現場に提供できる価値はたくさんあると思います。特に、個々人がどのように自立した生活を歩んでいくのかが基本理念となっている介護分野では、お互い学べることが多いと感じています。

配属からずっと関わってきた一期生は、3年間の実習期間を終えますが、施設の手厚い支援もあり、今後も特定技能の在留資格で、勤務を続けようと考える人が多いようです。引き続き、この教育プログラムの意義についても、しっかり検証してみたいと思っています。

以上、今回は、私が関わっている介護分野の日本語教育について書きました。プログラムの方向性が見えてきたとはいえ、まだまだ改善が必要だと考えています。また、今後、ますます増えていく外国人労働者を地域としてどう受け入れていくのかという大きな課題にも直面しています。時間はかかりますが、少しずつ実績を積み上げていくしかないのかなあと、のろのろした歩みに焦りながらも、なんとか続けています。(遠い目)

投稿までのろのろになってますが、最後までお読みいただきありがとうございました!

共感していただけてうれしいです。未来の言語教育のために、何ができるかを考え、行動していきたいと思います。ありがとうございます!