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「移民」の解像度を上げる 〜『移民をどう考えるか』ブックレビュー

今回は、「移民」について考えてみたいと思います。

先日、某国の大統領が、「なぜ日本は問題を抱えているのか。それは彼らが外国人嫌いで移民を望んでいないからだ」と発言したことがニュースになりました。

日本には、現在、3,223,858人(2023年6月末:出入国在留管理庁統計より)の外国人が住んでいます。これほどの外国人が暮らしているにもかかわらず、なぜ「外国人嫌い」と認識されてしまうのか、なんだかしっくりこなかったので、今回は、このニュースのキーワードとなる「移民」について考えてみたいと思います。

今回、参考にしたのは、以下の書籍です。

カリド・コーザー(2021)移民をどう考えるか: グローバルに学ぶ入門書』(勁草書房)

監訳をしているのが、国立社会保障・人口問題研究所の是川夕さんです。是川氏の解説によると、同書は、「国際移民に関する国際的なスタンダードに則ったものといってよい(p.155)」とあり、日本の「移民」に対する考え方と、国際的な「移民」の考え方の違いが、より客観的に捉えられるのではないかと思いました。

実際、同書を読んでみて思ったのは、「移民」と一口に言っても、定義や統計の取り方などによっても異なる見解が生じ、さまざまな要素が複雑に絡み合っていて、切り取り方によって、なんとでも言えてしまうということです。

今の日本の状況を考えるのに、多くの参考になる考え方が紹介されていたので、今回は、『移民をどう考えるか』をレビューしながら、「移民」について考えてみたいと思います。


全体の構成

「移民問題」は、とてもセンシティブな問題です。ここで同書を網羅的にレビューするのは無理ですし、私の解釈の仕方によっては、同書の意図が誤解されて伝わってしまう可能性もあります。そこで、初めに全体像を掴むために章立てを紹介しておきます。

第1章 なぜ移民が問題なのか
第2章 移民とは誰のことなのか
第3章 移民とグローバリゼーション
第4章 移民と開発
第5章 非正規移民
第6章 難民と庇護希求者
第7章 社会における移民
第8章 国際移民の未来

入門書というだけあって、「移民」の定義から始まり、「移民」で何が問題になっているのかを、グローバルな視点から指摘した上で、エビデンスをもとにさまざまな考え方を取り上げています。

以下に、著者の言葉を引用します。

本書では読者の皆さんに、今日の移民に関する重要な問題を理解してもらい、できれば理性的な議論に参加するのに必要な説明や分析、データを提供するように努めた。

(p.16)

以下のレビューは、同書を読んだ私の解釈が加えられているということを踏まえた上で、お読みいただければと思います。興味のある方はぜひ書籍を手に取って欲しいです。

「移民」とは誰のことなのか

第2章のタイトルにもなっていますが、まず「移民」の定義について考えてみたいと思います。一括りに「移民」と言っても、様々な要素があることがわかります。

国連の定義によると、移民とは「居住地から少なくとも一年以上離れて暮らす人」とされています。この定義に照らすと、日本に住む約322万人の「在留外国人」は、6か月以上の「在留資格」を持っていますから、そのほとんどが「移民」ということになります。日本の人口比で言うと、2.5%くらいでしょうか。同書では、世界人口でみた「移民」の数は3%程度としています。世界規模で見ると、日本の「移民」は、とりわけ多いわけでも、少ないわけでもありません。

しかし、同書を読み進めると、国連の定義した「移民」には、複雑な要素が含まれていることがわかります。日本では、出入国在留管理庁が、出入国を厳密に管理し、半年ごとに統計として数字を発表していますが、これは、国際的に見ると非常に稀なケースのようです。

いつ入国し、いつ出国したのかを正確に把握するのは難しい上に、いつ移民になったのか、いつ移民でなくなったのかを定義するのも難しく、元となるデータに不備があることも指摘されています。政府の統計だとしても、推計である場合が多いそうです。

また、以下のような分類の仕方も紹介されています。

  • 自発的な移民・強制的な移民

  • 政治的な理由で移住する人(難民)・経済的な理由で移住する人(労働移民)

  • 社会的な理由で移住する人(家族の呼び寄せ、恋愛・結婚など)

  • 合法移民・不法移民(非正規移民)

これらの分類を見ても、どこか一つに明確に分類できるわけではなく、いくつかの条件が複雑に絡み合っている場合も多いのではないかと思います。

「国籍」という枠組みで考えても、二重国籍が認められている国もあれば、どのタイミングで市民権が与えられるのかは、国によってルールや条件が異なります。

私はここまで「移民」という言葉を使ってきましたが、同書では、「国際移民(Internaional Migration)」という表現が使われています。「移住」という観点から考えると、私たちも「国内移住」をしています。より良い仕事や住環境を求めて「自発的に」移住することもありますし、結婚などの「社会的な理由」によって移住をすることもあります。また、転勤などで「強制的に」移住することもあります。言ってみれば、「国内移住」も「移民」の一類型と言えるのではないかと思いました。

同書でも、実際に中国の例を出し、地方から都市部へと大規模な「国内移住」が行われていることに言及しています。そして、この「国内移住」が、「国外移住」につながるケースも多いと指摘しています。国内移住により、よりよい生活を手に入れたという移住経験が、リスクを追って国外へ移住することへのハードルを下げるというのは、感覚的に理解できます。

このように、個々人の人生を基準に考えると、一括りに「移民」と言っても、非常に複雑であることがわかります。人生で起こる様々なイベントを、異なるルールを持つ各国の基準で分類することは不可能だとも思いました。

同書では「非正規移民」について以下のように説明しています。

本書では、「非合法の(illegal)」という、より一般的に使われる言葉を意図的に避けて、「非正規(irregular)」移民という言葉を用いることにする。「非合法」という言葉に対する最も強い批判は、人々を「非合法」な存在と定義することはその人間性を否定することになるというものだ。人に対して非合法な存在だとは言えないのだ。

(p.64)

「国内移住」であれば、非合法だと捉えられることはありませんが、国境を跨ぐことによって様々なトラブルが表出しやすくなります。(移住者と地域住民との確執やトラブルは、国際移民でなくても生じることです)

「国際移民」は、各国で定められた法的な地位によって、その人間性まで否定されてしまう存在となりがちです。移民関連の報道などを見るときに、なんとなくネガティブな視点で見てしまいがちですが、その背景にどんな要素があるのかに想像力を働かせることで、報道とは違った見方ができると思いました。

国際移民が増える背景

第3章では、「国際移民」が生み出される背景について「グローバリゼーション」をキーワードに説明しています。現代社会は、「グローバリゼーション」により国境を越えた情報や資本の流れが加速しています。同時に、国境を越えた「ヒト」の流れも加速しており、「国際移民」は、この変化に組み込まれていると説明されています。

世界各地に経済的な格差があることを考えると、「移住」の最も大きな要因は「労働」であり、他国にもっと豊かな生活を求めて移住するのは、当然のことだと考えられます。それでも、国際移民が、世界人口の3%にすぎないのは、「世界の不平等の影響を最も受けている最貧の人々は、移住する余裕もない(p.46)」からだと指摘しています。

貧困を逃れようとする多くの人は、国際移住ではなく、田舎から都会へ国内移住するのが普通だと述べています。これも感覚的によくわかります。いくら輸送手段へのアクセスが高まったとしても、国際移住には、お金がかかります。日本から海外に留学することを考えても、それなりの資金が必要です。海外の送り出し機関の業務に関わるようになって実感しているのが、日本へ来るまでの準備や教育にも、多額のお金がかかるということです。

知人や友人、兄弟がすでに日本にいるという人も多く、全く繋がりのない国に、たった一人で移住するというのは、相当に勇気のいることです。このような様々なリスクを取りながらの「国際移住」は、もっと評価されるべき「挑戦」と捉えてもいいのではないかと思いました。

第4章では、「国際移民」の生み出される背景を「送り出し国」の視点で説明しています。プラスの面で言えば、移住先からの送金や新しい技術、経験、人脈づくりなどのメリットを指摘しています。マイナス面では、頭脳流出という点を指摘します。

日本でも「高度人材」という言い方をしますが、日本の産業の発展に寄与できる優秀な人を選んで優遇するという政策は、確かに、送り出し国から見たら損失です。私も、これまで留学生等の人材育成に関わってきましたが、受け入れ国側の視点でしか考えていなかったと思いました。

一時的な移民という考え方

第8章では、これらの背景を踏まえ、今後どうなっていくのか「国際移住の未来」というテーマで書かれています。ここでは「近い将来移民が最も大きな問題となるのは、おそらくアジアだろう(p.129)」と指摘されています。これまでのアジア域外への移住から、アジア域内に向かう移民が増えているとします。移住先としては、日本、マレーシア、シンガポール、タイを含めた東アジアが多いようです。

そして、これからのトレンドとして「一時的な移住」を挙げています。一時的な移住プログラムを導入する国が増えており、いずれ本国に帰還することを条件に、一時的な移住労働を認めるというものです。これは、日本で行われている「技能実習制度」や「特定技能制度」にあたります。

4章では、送り出し国からみた「国際移民」のメリット、デメリットが説明されていましたが、このメリット、デメリットを踏まえたのが、「一時的な移住」ということにもなるのではないかと思いました。そして、「一時的な移民労働者」を最も受け入れているのがアメリカであり、50万人以上、先進国の中で、日本は3番目に当たるそうです。

同書では、日本の「一時的な移民労働者」の年間受け入れ数は、20万人とされていましたが(同書の原著刊行は2016年)、最新のデータ(2023年6月)では、「技能実習」が、358,159人、「特定技能」が、173,101人で、合計531,260人と、50万人を越えています。受け入れ1位とされたアメリカの当時の人数に匹敵するのです。

同書では、一時的な移住プログラムには、二つの留保条件があることを指摘しています。

一つは、「移民の権利を必ずしも保護することにならない」というものです。一部の識者の指摘として、以下の意見を紹介しています。

完全な社会統合とそれによる便益を享受する資格がある恒久的な移民と確実に本国に帰還するために主流社会から排斥される一時的な移民と2種類の移民を生み出すことが避けられないと考えている。

(p.137)

日本の状況に置き換えて考えると、恒久的な移民とは、ポイント制によって積極的に永住権を与えるという「高度人材」が対象となるのではないかと思います。一時的な移民とは、在留期限付きの「技能実習制度」や「特定技能制度」が対象となります。このような2種類の移民の存在は、日本では現在進行中の現象として捉えられると思いました。

二つ目の指摘が、一時的な移民プログラムであったとしても、帰還することなく「恒久的に定住する」可能性です。これは、すでにドイツなどヨーロッパで経験されていることです。

現在、国会では「育成就労制度」の審議が行われていますが、特定技能1号では5年という在留期限があるものの、特定技能2号へ移行した後は、在留期限がなくなります。家族の帯同も認められます。こうなると、「一時的な移民労働者」ではなく、定住化が進むことも考えられます。

こう考えると「育成就労制度」は、単なる「労働者」を増やすという制度ではないと思うのですが、将来的にどのように定住者を受け入れていくのかという点については、議論がされていない印象です。

日本は移民がいないのか

以上、同書の内容を日本の状況と照らし合わせながら読んでみましたが、このような現状を、私たちはどう捉えればいいのでしょうか。

よく「日本は移民政策をとらない」と言われます。公式には、日本は「移民」はいないことになっており、どの行政文書を読んでも「在留外国人」という用語は使われるものの、「移民」という用語は使われていません。日本語教育に関わっていると、明確な方針がないまま対処療法的な施策に振り回されることが多く、この政府の見解には疑問を感じています。

ただ、先に述べたように、日本には、すでに約322万人の「在留外国人」が暮らしており、国連の定義では「移民」にあたります。そして、「一時的な移民労働者」という観点で見たら、日本はすでに、世界でもトップクラスの移民の受け入れ国になっています。

これだけ多くの「国際移民」を受け入れながらも、「日本には移民がいない」と言い続けるのは、そろそろ限界があるのではないかと思います。冒頭に挙げた某国大統領の発言も、この認識の違いに起因しているのではないかと思いました。

これまで、私は「留学」という分野に深く関わってきましたが、ここ数年、カンボジアやインド、インドネシアなどの送り出し機関と仕事をする機会が増えました。ここで感じたのが、留学であろうと、就労であろうと、自分の人生をより良いものにしようと挑戦する若者たちの姿に変わりはないということです。世界人口のたったの3%という、非常に勇気と決断力のある人たちです。

「技能実習生」というと、何かネガティブなイメージが付きまといます。私も「技能実習生」の日本語教育をしているというだけで、何かマイナスのイメージで見られることが多いと感じます。一方で「高度人材」というと、非常にポジティブなイメージです。私も実際、ITエンジニアの日本語教育にも関わっていました。このケースでは、高度人材育成に当たるかと思いますが、こちらでは何か高尚な仕事をしているような捉え方をされます。しかし、「技能実習生」に対する仕事でも、「高度人材」に対する仕事でも、私自身は全く変わりがありません。

「移民」というと、何か扱いが難しい問題だと感じますが、感情的に揺さぶられる報道だけでなく、もっとグローバルな流れや、送り出し側、受け入れ側の視点の違い、制度上の問題、個々人の人生など、さまざまな角度で読み解くと、また違った見方ができるなあと同書を読んで感じました。

現在、私自身も「国内移住者」です。仕事柄、国境を超えることの抵抗も少ない方だとは思いますが、それでも「移民」として海外で生活をすることには、相当パワフルな決断が必要です。できれば、住み慣れた日本で仕事をしたいなあと考えてしまいます。こう自分を振り返りながら、より良い人生を求めて、国境を超えて移民となる人たちの勇気ある決断をもっと尊重していきたいと思いました。長〜い人類の歴史を見ると、人類は移動しながら発展してきたようにも思います。

長くなりましたが、今回も、最後までお読みいただきありがとうございました。

共感していただけてうれしいです。未来の言語教育のために、何ができるかを考え、行動していきたいと思います。ありがとうございます!