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不思議な「読解」の授業

山の学校の1期生(2017年10月入学)クラスでは、はじめの1時限目に「読書会」を行っています。
今、読んでいる本は、下記。

ダスティン・ボズウェル, トレバー・フォシェ(2012)『リーダブルコード ーより良いコードを書くためのシンプルで実践的なテクニック』(オイラリー・ジャパン)
[原題] "The Art of Readable Code” by Dustin Boswell and Trevor Foucher (2012), O'Reilly Media, Inc.

授業で扱っているのは、日本語に翻訳されたものです。
先日、エンジニアをゲストとして招き、トークセッションを行ったときに、「読書会をしたいんだけど」と相談したら、この本をお勧めしてくれました。

当校では、教科書というものを使っていないので、せめてこのくらいは、買ってもいいだろうと、一人一冊買って、学生に配布しました。
この本と、PCを持って教室に集まると、「ITエンジニアの学校」という雰囲気が高まります。

「読書会」の方法は、「8分間読書法」という方法を採用しています。
これは、青木将幸さんの著書で紹介されていた方法です。
進め方は以下の通りです。

8分間読書法
 ①8分間、読む
 ②8分間、語る
 ③8分間、「問い」を立てる
 ④8分間×人数分、「問い」をもとに話し合う
青木将幸(2018)『深い学びを促進する ファシリテーションを学校に!』ほんの森出版(pp.94-99)

時間的な余裕がないので、最後の④は、「話したい」と思う「問い」を選んで話しています。が、時間を延長しても構わないという合意が得られれば、全員の問いについて話します。

『リーダブルコード』は、プログラマー向けに書かれた本です。
漢字にふりがなはありませんし、語彙や文型も全く手加減がありません。
しかし、これがすごくおもしろい。

まず、「8分間」自由に読みます。いきなり全部を読むのは無理なので、はじめに、今日はココと範囲を決めて、その範囲を自由に読みます。範囲全部を読み通せる人は、ほぼいないので、見出しを見ながら、自分が読みたいと思った部分を読みます。
そして、その後、自分が読んで感じたこと、考えたことなんでも、自由に話し合います。それぞれ、別の視点で自由に読んでいるので、いろんな視点で意見を出し合うと、全部読めなくても、だいたい全体で何が書いてあるのか理解できてくるのです。
話を聞いて、「あ、それは、こっちにこう書いてあったよ」とか、「自分が読んだところと言っていることが違う」とか、いろんな意見が出されます。で、話し合っているうちに、「あ、そういうことか」と気がつくのです。
「問い」を立てる段階で、もう一度読み返します。
そして、最後に「問い」について話し合いながら、さらに理解が深まるという感じです。

この読書会の何がおもしろいって、日本語教師の私が、おそらく真の意味で、いちばん理解できていない。例えば、下記のような記述がいたるところにあります。

 いい名前というのは、変数の目的や値を表すものだ。ここでは、vの2乗の合計を表しているわけだから、sum_squaresという名前がいいだろう。こうしておけば、変数の目的を事前に伝えることができるし、バグの発見にも役立つはずだ。
 例えば、ループ内の処理を間違えて以下のように書いたとする。
 retval += v[i];
 変数名がsum_squares だったら、バグを見つけやすい。
 sum_squares += v[i];  // 合計する「square(2乗)」がない。バグだ! 
                             (p.13)

本文中、半分くらいはコード。
日本語は、わかる。でも、これらのコードが何を意味するのか、私には理解できない。果敢に質問すると、学生が一生懸命説明してくれる。さもなくば、議論を傍観するしかない。

私ができるフォローは日本語の意味の部分だけだが、そこにいる意味はある。
さらに、おもしろいのは、学生自身も、自分の得意なプログラミング言語があり、全員が全てのコードの意味を完璧に理解できているわけではないということ。
また、日本語はあまり得意ではないけれど、技術力があって、GEEKな学生が、この読書会では非常に饒舌で、自分の経験を交えて、わかりやすく解説してくれるのです。
プログラマーがコードを書きながら、どんな作業をしているのか、私にもだんだん理解できるようになってきました。

このように、この読書会では、それぞれが持っているもの、理解できたことを持ち寄って、一つの本を理解しようと知恵を出し合っていきます。
言語の習熟度によるヒエラルキーがなく、それぞれが自分のレベルに合わせて理解し、納得し、おもしろいと思う。こんなハッピーな読書会が、日本語の授業でできるとは思ってもみませんでした。


語彙や文法説明の時間はなく、予習の必要もない。教師による解説はないが、教師よりも学生の方が理解度が高い。誰もが、めちゃくちゃ集中して読み、なおかつ、読んだことに対して真剣に話し合う。こんな不思議な「読解」の授業。
機会があったら、ぜひ、一緒に体験してほしいです。

今日は、不思議な「読解」の授業について書きました。


2019年7月15日追記
この『リーダブルコード』、半年かけて、全編読みました。私にとってもなかなかハードな「読書会」でしたが、書評めいたものを、Qiitaに投稿しました。
こちらもご覧ください。


共感していただけてうれしいです。未来の言語教育のために、何ができるかを考え、行動していきたいと思います。ありがとうございます!