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ガイアシンフォニー第九番

太古の地球は 音楽に溢れていたのかもしれない

Steven Mithen

認知考古学者 Steven Mithen氏は、ネアンデルタール人の脳の研究から、言葉を持たなかった彼らが音楽的なサウンドでコミュニケーションをとっていた、という説を唱えます。

実際、音や歌は、言葉よりも深く心に染み込んだり、癒したり、気持ちを高めたり、節目となる儀式にも使われます。

Steven Mithen氏によると「音楽は私たちの社会の根底を成す大切なもの。」なぜなら、音楽を聞いたり歌ったり見たりして楽しむことが、他人の気持ちをわかる人間をつくり、分かち合える社会にしてくれるからです。


ガイアシンフォニー第九番を、初めて鑑賞しました。九番だけ見ていなかったので、とても楽しみにしていましたが、春分の日は凄まじい雨と風の嵐で、行けるかどうか?と決めかねるほど。すると、直前に雨が上がり、晴れ間が出てきて、なんとか西宮あんのん舘に辿り着けました。


炎のマエストロ、小林研一郎さんが、全身全霊で、魂で、音楽の宇宙を伝えようとしている姿が描かれます。彼に導かれるオーケストラ奏者たちや合唱団の演奏は、みるみるうちに深みを増していきます。

意図。想像する力。聞こえない音。余白。余韻。言葉以上のもの。
むしろ、言葉以上のものしか伝わらない。

悲しみ、喜び、感動、祈り、美しさ、力強さ、苦しみ、落胆、怒り…言葉にできない感情を 音のほうが余すところなく豊かに表現できるのだと、どうしても思えてしまいます。それに、音は嘘をつけない、とわたしは感じます。
心の声も音にのせれば、本音になりますよね。(「音」という漢字が入ってます)

言葉にすればするほど、表現したいことからどんどん遠ざかって、言葉にした途端に「そうではないこと」の占める範囲がどんどん広がってしまって、的確に表現できない息苦しさを感じてしまう経験を、わたしはよくします。(語彙が少ないということも手伝って)

Steven Mithen氏は「言語は文化を変える源になる」と言います。
言葉を持っていなかったネアンデルタール人は環境を変えなかったことがわかっています。それに対して、人間は、言語を登場させ、文化を変え続けています。

太古の地球に住んでいた人類が、言葉を用いず、音でコミュニケーションをとっていたということが、私には妙に納得できてしまうのです。
嘘のない純粋なメッセージを音にして、相手へ届ける。響き合う。美しい調和。
音楽に溢れていた太古。それはとても誠実で清々しく豊かな世界だったのではないでしょうか。


西宮あんのん舘では、またガイアシンフォニーの小さな上映会を第一番から開催してくださるようです。1992年に第一番が公開になってから30年以上。
今でもなお、今だからさらに、わたしたちに響くシンフォニー。
ぜひ。