見出し画像

何故「この世で純粋な愛を貫くのは至難の業」なのか考察


今回は、宇宙的視野から観たら決して次元が高いとは言えない「悲しみの星」とも揶揄されているこの地球で、

「愛と呼ばれているもの」、そして「愛と思われているもの」に付いての考察ともなっているでしょうか。

この世に構築されている「支配層により作られた金融借金奴隷システム」というベースの中で生きている地球人は、殆どの方が日々の生活に精一杯で、いつしか気持ちが疲弊してしまい、時に荒んでしまい、

いつの間にか自分が愛から遠ざかってしまっても、それに気付けなくなってしまう「人間の悲しさ」というものを、私は自他共に人生で沢山観て参りました。

ちなみに「本物の愛とは何なのか」を理解していない人達が、この星で沢山生まれてしまう原因の一つに、

本当は一番のお手本となるべき親から「自分は本物の愛をもらえていない=お手本となるものを持っていない」と深層心理で感じている方達が多いからだと思います。

でもそう思われてしまう親達も、そういう親に育てられて来たのですから、突き詰めて考えれば「誰も責める事は出来ない」という事に、愛のある人なら行き着くと私は思います。

多くの人達が、自分が生まれ育った時代の社会や世間から植え付けられて構築された「家族の価値観」に、自分が洗脳されているという事に気付かず、

人によってはそれが当たり前の様に、或いはそれを受け入れている自分に対して、プライドと言う名の虚栄心を持っている人達も、この世には沢山おりますが、

そんな中で「私達の人生にはそんな背景がある」という事に気付けた真に賢い方達というのは、「自分の中で本物の愛を見失わずに生きている人達」だと私は思っています。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?