見出し画像

生きがいとは

生きがいとは何か。私は生きがいに関するこちらのスピーチが好きだ。このスピーチでは、生きがいは、結びつき、目的、超越、ストーリーテリング(物語を紡ぐこと)の4つの柱でできていると語っている。

私は中でも、超越とストーリーテリングが好きだ。超越は馴染みがないと思うが、日々の喧騒を忘れて、自我が消え去り、高次元のものと一体になる感覚というものとこの動画では説明している。具体例をあげれば、芸術作品を見たり、教会の礼拝の時、執筆するとき、木を見上げる時などにこの感覚に陥り、その後に人を助けるような寛容に振る舞うといった説明が続く。私はそのような説明を受けてもピンとこなかった。この動画を見た時点では、この超越といった状態がどういうものかいまいち分からなかった。

生きがいー幸せに感じることにつながるから、さぞいいものなのだろうと思った。私なりにこの現象が何か試行錯誤した結果が、こちらである。瞑想やマインドフルネスは、この状態に近いと思う。

他の状態で言えば、Dr. Jeffery A. Martinが提唱したPNSE(Persistent Non-Symbolic Experiences)である。PNSEは手段だが、この手段で行き着くところは瞑想やマインドフルネス、動画の例である執筆や芸術作品を見ることと同じである。共通している点は、不安な思い、欠乏感、劣等感、罪悪感、自意識過剰に感じている感覚を、手放すことにある。

なお、私はリケジョであり、覚醒や悟り、霊的な世界をより条件や状態として、一般人にも分かるように説明してほしいと思うタイプである。なんだか怪しいと思っている。しかし、私の経験の中で、理系の研究者や開発者に囲まれれる中で、子供のように無邪気で、意欲的で、感情にも富んでいるが落ち着いていて、物事を俯瞰して捉えることが得意な人に会ってきた。統合的な人に会ってきた。

それからは、私と統合的な人には何か差があるのだろうと試行錯誤してきた。そして一つの解を得た。それは、仮面をつけた状態であっても、仮面を外したことだった。つまり、囚われをなくしたことだった。統合的な人は、何か理屈立てるわけでもなく、無理に今のままでOKと思うのではなく、過去や未来のことに対して囚われることなく、周囲と同じように生活し、生きていた。置かれた環境は同じでも、満たされていた。そういった人は、自身の語るストーリーテリングも大変面白かった。何者にでもなれ、選択してきていた。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?