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私のレアリスム(リアリズム)
写真というのはある種のリアリティと虚構によって成り立つものです。
そんな写真作品の中でも作者の目から見たリアルな光景の表現に主眼を置いた作品を#私のレアリスムとして投稿しています。
SNSの時代になってイイねとインプレッション数が崇められるようになった今日において、そこでウケる最大公約数的な表現を目指した写真は色彩や構図が大変すばらしくありながら、どこかリアリティに欠けた、意識を外に置いてそこでの評価に依存した作品になっているのではないでしょうか?
創造力を手にした人間は神と芸術を作り出しました。
その意味で神話と芸術は双子のような関係であり、神話が力を失った今日において、承認欲求が新たな神として人間の創作活動に含意されるのは必然とも言えます。
私のレアリスムでは、リアルを新たな神としてアンフォルメルな作者の心象や印象を目の前の光景に投影し、それを作者の手の技によって再現し、作者やそれに近い属性の人にとって強烈なリアリティを持つ写真表現、それは一方で作者と心象を共にしていない受け手にとっては現実に手を加えた虚構として写るかも知れません。
そんなリアルとアンリアルを内在しながら、映え、バズり、エモ、と言った流行に置き去りにされた人間や自然の営為と内面に作者の身体を通して目を向けた写真表現を目指し、何よりも作者の身体を通したリアリティに徹底的にこだわり、イイねとインプレッションという今日的な一つのリアルを超越し、その反動によってオルタナティブな写真表現を生み出そうし、人と人との違いを写真を通じて表現することで、その違いを楽しもうとするのが#私のレアリスムです。
私のレアリスムの作品となる条件は、作者の心象や目で見たリアルを徹底的に再現する事と、それによって今日的な映え、バズり、エモから脱却した写真表現を目指している事です。
そのため写真のレタッチや被写体には条件がありません、唯一の条件は私のレアリスムを表現すること。
![](https://assets.st-note.com/img/1687531367126-iP2864HR9w.jpg?width=1200)
この作品は、作者の精神的な不安定さや暗さ、闇を投影した暗く、色温度の低い、心象風景と目の前の風景の融合を目指した表現となっています。
工業、法、経済的な秩序に則って規格化され、繰り返されるホテルの外観と、窓の下の格子に、脳内物質と外的環境に支配されて繰り返され、変わらない、抜け出せない生活を投影し、その設置の意味の一つとして、内から外を眺める機能を持つ窓を外から撮って、見えない内を眺める構図にすることで、上記のような自分の内面を写真という外から見て、内面⊂鑑賞者-内面⊂写真、という写真が鏡となる関係を表現した写真です。
このように、映え、バズり、エモに依存しない、表現の源を外ではなく内に、作者の意図を込めた写真表現が私のレアリスムであり、どのような写真を投稿していただいても基本的には構いません。
あなたが見たリアルな世界の表現を一緒に目指してみませんか?
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