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先輩社員から贈られた聖書

昭和50年前後のことだったでしょうか。
定年後の先輩社員Tさんと机を並べて仕事をしたことがあります。
当時の定年は57歳だったと思いますから、Tさんの年齢は60歳の少し前でした。
特別な技能を持っている方だったので、当時としては珍しく嘱託として再雇用されたようです。

仕事のことで教わったことはもちろんありますが、そのことはあまり覚えていません。
社員食堂で昼に食事をした後に、喫茶店に行き週に1~2回の頻度でふたりでお話ししました。
Tさんは敬虔なクリスチャンで、そのことに敷衍したお話を聞くことが多かったと記憶しています。
直接的にキリスト教への入信を勧められた覚えはありません。
無教会派クリスチャンの内村鑑三、矢内原忠雄についてのことなどを話されていました。
太宰治のことも好きな作家としてあげていましたが、当時のわたしは敬虔なクリスチャンと情死未遂を繰り返し、結局心中した作家とはまったく結びつきませんでした。
納得がいくようになったのは太宰の全作品を読んだここ数年のことです。
Tさんのお誘いでふたりで初詣に行ったことがあります。
さすがに手を合わせることはありませんでしたが、敬意を表するように一礼されてました。

同じ課に属していたのは3年くらいで、わたしが他部門に異動するときに、Tさんから聖書を贈られました。
クリスチャンになることを勧めるというわけではなく、歴史的な書物との意味で読むことも意義があるとの趣旨だったかと思います。
帰宅してから20分程度毎日読んでいましたが、分厚い書物で持ち運びは難しく、別に岩波文庫で発行されている分冊化されている聖書を通勤中に読んだりしました。
このことが契機となり、キリスト教だけではなく仏教や他の宗教の書物にも興味が湧き読み進めることになりました。

実は、わたしの父は熱心な仏教徒(浄土宗)で、朝晩必ず読経しており、かつ、稲荷信仰にも厚い人でした。
そうした環境もあり、聖書自体への興味はありましたがキリスト教を信仰するには至っていません。
ただ、わたしが20歳代後半の若造であるにもかかわらず、しかも仕事の上では定年まで勤め上げた大先輩であるにもかかわらず、いつもまっすぐにわたしを見つめて真摯に接してくださったことに、いまさらながらに感謝の念を深くしています。

Tさんは、すでに他界されましたが、いろいろな意味でわたしのその後の生き方に影響を及ぼした忘れられない方となりました。


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