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「法律さえ守っていればいい」と言う人ほど法律を知っていない

「法律さえ守っていてばいい」と言う人がたまにいる。
その言葉単体をいきなり発することはなく、大抵は誰かの何かの会話の返しとして使われる事が多い。

言葉の意味の背景を分解する

この言葉以上に、この言葉に至る考え方が私には理解し難い。

特に「さえ」の部分だろうか。
法律が最低限守るべきルールであることに異論はない。
しかし、法律のみを守っていれば良いわけでもないはず。

法律以外にも、法律と同等かそれ以上に守るべきルールが存在していないと断言することはできないはず。

「さえ」という意味は、それ以外はないという意味を感覚的に覚える。

「法律さえ守っていてばいい」と発言する人の思想の裏には、
法律以上の絶対的ルールは存在しないと思っているのかもしれない。

確かに法律は絶対的に守るべきルールであることに異論はないだろう。
法律を破れば、問答無用で何かしらの処罰は課されるだろう。
だからといって法律だけを守っていれば、これらの刑に処されないというのだろうか。

法律とは何なんだろう

ここからは感覚的な話になってしまう。
私は大学時代に社会労務士の資格の講座を受講しており、労働関連の法律の多さに驚きつつ、勉強をあきらめた経験がある。
その社労士の先生が「法律には必ず何かしらの成り立ちの理由がある」とおっしゃっていた。単純な記憶より、それを合わせて覚えるほうが記憶間違いを防ぎやすいという。
この「法律には必ず何かしらの成り立ちの理由がある」ということから、法律は何かしらの倫理的側面を持っていると考えられる。

法律の成り立ちを見ても、
日本の法律は、立法府である国会で議論し作られる。選挙とはこの法律について議論、制定する人を決めることだ。
少なくとも建前では日本国民のそれぞれの考えに近い人が法律を作っているということにはなっている。日本の場合、行政立法が9割なので、選挙で選んでいない行政の人間が法律を作っているとも捉えられるが、行政のトップの半数は国会議員となっているので、否定もできない。

ここまでの話を合わせると、法律とは「国民の何かしらの理由や意見によって制定されたルール」とも言えるだろう。

法律と同じくらい守ってること

法律の成り立ちみたいなことは何となくわかった。

一つ引っかかることがある。
「何かしらの理由」である。この何かしらの理由とは何なんだろうか。

例えば、車道には一時停止がある。これはよく見忘れたり、急いでいたりと理由はあれどよく無視され、違反切符を切られやすい。
一時停止がなぜあるのかは簡単で、見通しが悪い場所で事故にならないように一時停止して周りを見るためである。
これは確かに理由ではあるが、より深く考察すれば、事故によって不幸なことや不利益なことが起こらないようにするためでもある。そこには倫理観のようなものも感じられる。

法律とは、
マナーやモラル(倫理)といったものが国民の総意となり言語化され共有されたもの
とも感じられる。

そうなると法律になる前の”マナー”や”モラル”も法律と同等のルールなのではないかと考えられる。

例えば、
・転売→チケット不正転売禁止法
・パワハラ→パワハラ防止法
・有給→労働基準法の改正で年5回義務化

今まで法律で禁止していなくても、マナーやモラルとして否定されていたものはやがて法律になっていく。

また、法律違反ではなくても、近年のSNSやネットではマナーやモラル違反にて炎上することを度々見かける。
個人に限らず会社や組織は法律以上に気をつけていることになってしまっている。

マナーやモラルが法律になる。
「法律さえ守っていればいい」というのは身を滅ぼす考えとも言える。

そもそも法律は把握できない

それ以上に、法律を把握することなんて不可能に近い。
先程、社会労務士の勉強をしていたが、労働関連法ですら大変な量である。
法律のプロ、弁護士になるのにすら何年、何十年とかかる尋常じゃない時間がかかる。

「法律さえ」と軽く言う人間にそれができるのだろうか。
もちろんできるはずはない。

そもそも現時点で自分が法律を破っていないという自信がどこにあるのだろうか。
ものすごく緻密に見れば、自分も何かしらの法律に違反しているということにできるかもしれない。

「法律さえ守っていればいい」という人は法律を守れているとは到底思えない。

法律より倫理観

では膨大な法律をどうやって守るべきなのだろうか。

それは法律以上に倫理観を持つべきだと思われる。
マナーやモラルが法律になるのであれば、法律は絶対に守るべきだが、マナーやモラルという目線で物事を判断することで法律も勝手に守れているという状態が良いのではないかと思う。

倫理は努力義務ではなく、義務である。
それぞれ違うかもしれないけど、倫理がやがて法律になるのであれば倫理的行動こそが今の時代には必要な考えなんでしょう。

哲学者ソクラテスは、
「大切にしなきゃいけないのはただ生きることではなくよく生きること」と言った。
よく生きるとは、”美しく正しく”という意味である。

法律を守れば罪も罰もないと思っているのは時代錯誤であるし、
「よく生きる」ことを目指さなければ、空っぽな人生になってしまうだろう。

倫理観や社会性を持って行動し、よく生きることが大切であることを訴えていきたい。