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【新刊】カンカラ鳴らして、政治を「演歌」する

はじめに

こんにちは、dZERO新人のHKです。今回は、現代唯一の演歌師である岡大介さんの『カンカラ鳴らして、政治を「演歌」する』を紹介させていただきます。

本来、「演説歌」だった演歌で政治・世相を風刺する

概要

政府批判・演説が弾圧された明治大正時代に、時の権力や世相をおもしろおかしい歌にのせて風刺したのが、本来の演歌=「演説歌」の始まりです。演歌師である添田啞蟬坊・知道の流れをくむ岡大介さんは、寄席やホール、居酒屋、そして山谷や西成などの労働者の街で「演歌」を歌いあげています。岡さんが演奏するのは空き缶で作られたカンカラ三線です。カンカラ三線は、戦争で三線がすべて焼けてしまった沖縄の人たちが空き缶と木で作った楽器です。このカンカラ三線をリュックに差して全国を演歌して回る岡さんの二十年の記録がつづられています。この作品はVideo on the Bookで、岡大介の「演歌」を見ることができます。

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著者紹介

著者は、添田啞蟬坊・知道の流れをくんだ現代唯一の演歌師の岡大介さん。岡さんは1978年、東京都に生まれ。空き缶で作ったカンカラ三線をリュックに差して、寄席、演芸場、大ホールや労働者の街など全国を回っています。リリースしたCDに、『かんからそんぐ 添田唖蝉坊・知道をうたう』『かんからそんぐ2 詩人・有馬敲をうたう』『かんからそんぐ3 籠の鳥・鳥取春陽をうたう』『にっぽんそんぐ』(いずれもオフノート発売)があります。


この作品のポイントと名言

オッペケペッポーペッポッポー ラメチャンタラギッチョンチョンデパイノパイイノパイ (まえがき、p1)

世相風刺、政治批判と一緒に歌われるのですから、痛快です。これを「演説歌」、つづめて演歌といいます。(まえがき、p1)

庶民の生活の苦しさ、うわっついた世相への反発、勝手をする政治への怒り――演歌にはさまざまな人間模様を織り込むことができます。(まえがき、p2)

東京五輪がやりたくて 緊急事態を遅らせて 選挙になったらヘコヘコと 緊急事態を解除する ハテナ ハテナ (第一章、p16)

ぼくは「庶民の怒りの声を代弁する」のが「演歌」だと思っています。そして、主張があるのが「演歌」です。 (第一章、p18)

一九〇一年、青年俱楽部は消滅しますが、唖蝉坊は弟子と二人きりで演歌の正道を歩もうとします。(第一章、p34)

唖蝉坊は「政治」よりも「人間」を、「思想」よりも「人柄」を信用していました。(第一章、p38)

考えてみれば、庶民の思いや叫びを歌うのに、高級な三味線や三線で歌うよりも、戦後の沖縄の叫びから生まれたカンカラ三線のほうが説得力があります。(第二章、p60)

「君はいったい演歌師か、フォーク歌手か、それとも芸人か」と尋ねられることがあります。ぼくの中では全部、奥底でつながっていて、どれも必要な要素です。そこで、いま一番の大きな課題は「現代にあった演歌とは何か」ということ。(第二章、p72)

路上で暮らす人や日銭を稼ぐ人たちに接していると、ふだん見ずにすませているものが、見えてくる気がします。”棄民”という言葉が自然と頭に浮かんできます。(第二章、p85)

本格的に演歌の道を追求するようになり、多少なりとも食べられるようになり、まして多くの人との貴重な出会いを経験できたことを思えば、途中でうまくいかなかったことが逆に幸いしたのかもしれないと思うようになりました。(第三章、p123)

ごく小さな蜘蛛の巣があちこちにできる感じです。その中心には熱いこころをもった人がいて、「演歌」を大事に思ってくれている。ぼくも彼らのことを思い出すと、ポッとこころに灯がともる感じがあります。(第四章、p142)

東京にいるとかえって、地方から出てきた人の競争心というか闘争心というか、その強さを感じることがあります。それは負けられないという気負いとも感じられます。(第四章、p174)

ぼくはマイクに頼らず、ビブラートを利かせないでまっすぐ歌うことが特長です。路上ライブ時代からそうやって歌っています。極端な話、いまもマイクを使ったら歌ではないと思っているくらいです。(第四章、p183)

時の権力にものを申せば、肩身は狭くなるばかり。テレビからお声がかかるなどありえません。でも、お尻を見れば、まだ民権主張のしっぽが残っている。(第五章、p189)

「そういう場では風刺じゃない曲にしたほうがいいんでしょうか」と聞きました。そうしたらヒロさんから、「それはだめだよ。そのままやり続けないと、それは権力に屈することになるよ」という答えが返ってきました。(第五章、p205)

ただの政権批判、悪口に終わってしまうと、人は聴いてくれません。そこは”芸”になっていないといけない。(第五章、p227)

政治の過ちを風刺に変えてまっすぐに歌う。どこまでできているかは分かりませんが、今後もその道を行きたいと思います。(第五章、p228)

ああわからないわからない ウイルス対策わからない 後手後手迷走トンチンカン 庶民にゃ責任なすりつけ 人命よりも金儲け 自粛要請生殺し いつも補償にゃ後向き (付録、p234)

ちょいと一杯飲ませてよ その気にさせて通わせて 二杯目までが夢の国 お題を払って泣きを見た ズン ズン ズンドコ (付録、p243)

これからも多くの人に演歌を届けるために、カンカラ一本、歌い継いでまいります。(あとがき、p252)


dZERO新人HKのひとこと

演歌はこぶしをきかせて恋情を歌うものだとばかり思っていましたが、この作品を読んで本来の演歌とは、「演説歌」だったのだと知りました。演歌=演説歌には、やむにやまれぬ政治批判・世相風刺への情熱が込められており、啞蟬坊をはじめとした明治大正期に活躍した演歌師たちの思いがひしひしと伝わってくるようでした。政治批判はあちこちで聞きますが、演歌として歌いあげられると深みが増し、またただの悪口と違っていやな気分にならないものです。ユーモアがあると、政治批判・世相風刺が逆にまっすぐに伝わってきて、素直に聞いてみようと思えるのが不思議です。岡さんが歌いあげる演歌は、現代の政治・世相への風刺であり、付録の岡大介自作曲集を見ているだけでもクスリと笑えます。
また、岡さんの演歌にかける熱量が感じられ、二十年の軌跡を追体験するかのようでした。できることなら、岡さんが弟子を取って後継者が現れ、細々とでもいいから後世に本来の演歌が残ってくれることを願わずにはいられませんでした。


おまけ

岡大介の「演歌」PV



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