ソウル・メイト。
あの頃。
私は、出張先のホテルで死に方を探していた。
身近にあるものと言えばハンガーくらいしかなくて、それを伸ばして頭からかぶり、首に巻きつけて、クローゼットに引っかかってみたりした。息が出来なくなるほどにはならなくて、ただただ首が痛いだけだった。
残ったのはうっすらとできた首の赤い筋と、「結局自分には死ぬことすらできないんだ」という絶望感だけだった。
「明日、首の筋が目立たなければいいなぁ」なんて優等生のような独り言を呟きながら、「この苦しさに誰か気付いてくれたらいいなぁ」という淡い期待の方が大きかった気がする。それは、決して誰かに救って欲しかったわけではなくて、たぶん早く「こいつ、ヤバいやつ」という烙印を押してもらいたかったのだと思う。特別扱いして欲しかったんだと思う。
生きていたくない。
でも、死ぬ勇気もない。
そんな自分に絶望をしているだけでも、時間だけは平等に、そして残酷に流れていった。
ベットの上で布団もかけずに少しだけ取った浅い眠りの後、朝を迎えると、ホテルの大きな鏡の前に立った。ほとんど目立たなくなってしまった首の線を見てガッカリするのと同時に、人間の再生力の偉大さに感心したりしていたのだから、本当に笑ってしまう。そして、また仕事に出かける、そんな日が続いた。
何が辛かったというわけではなかった。
ただ生きていることに希望を見出せなかった。
そして、「希望がないと生きている意味がない」と、あの頃の私はそう思っていた。
そんな不安定な夜を幾日か過ごしたある日、私の頭の中に、ふとこんな言葉がよぎった。
「死ぬ勇気があるのならば、その勇気を使って、最後に今の自分の気持ちを誰かに聞いてもらえばいい。死ぬのはその後でもいいのだから。」と。
それは、きっと頭の中にあなたがいたからだった。
あの頃、絶望だらけの毎日で、あなたがいたことだけが、たぶん私の唯一の希望だった。
知り合ってからそれほど時間が経っていたわけではないと思う。けれど、会ったときから、何故だか私はあなたにとても惹かれていた。たぶんそれは、「ソウル・メイト」という言葉でしか表せないものなのではないかと、私は今でも思っている。あなたは嫌がると思うけれど。
手が…震えていた。
聞いて欲しいという想いと、好きな人から嫌われてしまうのではないかという怖さの間を、行ったり来たりしていた。
結局、その日、私はあなたの部屋に電話することができなかった。
一度浮かんでしまった希望はなかなか消すことができなかった。
翌日も、その翌日も、仕事を終えホテルの部屋に戻ると、あなたの部屋に電話をするかどうかで悩む日が続いた。いつの間にか、死ぬか否かで悩む日々でなく、あなたに電話を掛けるかどうかで悩む日々になっていた。
そして、あの日、震える指と声を押し殺すようにして、私は電話であなたの部屋の番号を押した。
希望と絶望。
あのときはどっちの方が大きかったのだろう。
聞いてもらえるかもしれないという希望だろうか。
それとも、「もうどうしようもない」という大きな絶望に対する開き直りの電話だったのだろうか。それはもうちょっと覚えていない。
ただ、あのとき私は、「あなたにだったら、何を言われても受け入れよう」いう覚悟だけはしていた。その覚悟が決まったから電話をしたんだ。
「話をしたいので、部屋に行ってもいいか」と言うと、あなたは何も聞かずに「だったら、そっちの部屋に行くよ」と言ってくれたけれど、飲み慣れないお酒を持って部屋に来たあなたは、やっぱり少し緊張しているようにも見えた。
そして、私は、あなたに、今自分の身の回りに起こっていること、それが自分の過去に原因があるのではないかという話をした。それまでずっと悩み続けた十数年の間、親にも友達にも誰にも話したことがないことだった。
話し終えた私は、たぶん慰めの言葉を期待していた。逆に叱責をされるかもしれないという怖さも持っていた。
でも、あなたはそのどちらも言わなかった。
そして、ただ、あなたが抱えている「秘密」を共有してくれた。
思いがけない出来事だった。
それは、ずっとどちらか一方のことを言われると思っていたからかもしれないし、あなたの秘密が私の境遇にも似ていたからかもしれない。
あの時の感情は言葉では言い表しにくい。
期待した言葉が得られずにガッカリもしていたし、でも、憧れている人が自分の秘密を共有してくれたことがどこか嬉しかった気もするし、そしてその秘密があまりにも私の境遇に似ていたから驚いていたりもしていたと思う。
翌日から私の中から「死ぬ」という選択肢が消えた。
今でも人生は辛いことの方が多いし、生きている意味なんか分からないけれど、あの日から、私は具体的に「死ぬ」ということを行動に移して試してみるということはしなくなった。
たぶん、死ぬ勇気があれば、誰かに話を聞いてもらう勇気が持てることを、あの日私は知ったから。
あの夜のことは鮮明に覚えているようで、どこか夢の中の出来事だったのではないかという気もしている。
あの日、あなたはこうも言ったんだ。
「自分探しの旅に出るなんてしちゃダメだ」と。
自分探しの旅に出る余裕なんかこの世の中にはないのだ、それくらいみんな必死に、誰かのために生きている、自分へのご褒美をするくらいなら誰かのために使ってあげた方がいい、と。
そう言うあなたはギャンブルが好きだったりするから、本当に憎めないよ。
私はね、あなたのその言葉を抱えて、やっぱり「自分探しの旅」を続けているんじゃないかなぁと思っているんだ。
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