京都の通信制大学に通い後悔したたった一つのこと
平安遷都は794年。明治になるまでの間、文化の中心でした。皇統はもちろん、藤原氏、足利氏、豊臣氏の治政が行われた場所であり、時代の変動を作り出した場所です。平安遷都以前から、土地の豪族が文化を形作ってきた場所で、街を歩くだけで、凝縮された日本の文化に触れることができ、単に学校に通うだけに京都に行くにはもったいなくはないでしょうか。私自身、スクーリングの前か後ろにもう1泊して、京都を触れればよかったと後悔しています。そんなこんなで、気持ちが募って京町家に住んでみたい、そんな思いを京都芸術大学通信に行っている方にはさせない活動をしたいとまで考えるようになりました。
知れば知るほど、もっと知りたくなる
京都には、知ろうとすればするほど、知りたくなる奥深さがあります。おそらく、日本の文化が街中に詰まっているだと思います。京都御所の場所は、平安時代と違うことさえ知りませんでした。当時の朱雀大路は、現在の千本通りだそうです。鰻の寝床のような町家ができたのは、秀吉の治世からだそうです。寺町ができたのも然り。秀吉がこんなに深く京都に関わっていたなんて。知れば知るほど、街を徘徊して確かめたくなってしまいます。そんな魔力が京都にはあると思います。この呪縛はどうやったら解けるのでしょうか。もう行って住むしかないのではないでしょうか。
それと、ちょっと焦っているのが、そんな環境が失われようとしていることです。
惹きつけて止まない京都の街角
ここ数年で、中国を中心に外資や投資家などが日本の土地を買い漁っているそうです。京都市内も同様の状況です。町家の老朽化による更地化も進んでいるそうです。若い方が住める住居が減っていて、人口が減少しているそうです。その他いろいろな要因で、町家が立ち並んでいる場所が減ってきているようです。京都は寺社仏閣や名勝だけが観光の対象ではありません。京都の生活そのものが、世界中の多くの人を惹きつけていることを、日本人は自覚すべきだと思っています。
なぜ、私たちは自然を大事にしてきたか、季節の移ろいを大事にしてきたか、その要因が凝縮されているのが、京都だと思っています。そんな京都をもっと味わいたい、今日この頃です。