鎧を脱ぎ始めるまで

精神障害者1級を持つ母と暴力的な父。一緒の空間にいるだけで体が強張る。両親の元にいるくらいなら死んだ方がましだ。いち早く彼らから逃げたかった。

英語教科だけはいつもトップだったこともあり、英語を話せるようになりたいと強い想いを抱いていた。そんな思いがあっという間に叶い、入学した高校が留学プログラムをその年から試みていた。もちろん試験は一発合格。重度の摂食障害を抱えならがら、16歳の私は一人でアメリカへ渡った。
アメリカ生活の一年間。ホストが私の過食嘔吐症に気がつかれ、学校も休みがち、引きこもってリストカットをしているなどと、強制帰国まで話が上がったが、心あるカウンセラーのホストに引き取られ無事にプログラム期間アメリカに居る事が出来た。

アメリカへ行けば太るというのが当たり前に言われるがすっかりと痩せ細っって帰ってきた姿に見てみんなが驚いた。(当時65キロから39キロに)

留学したのに過食嘔吐症がひどくて学校にも行けず、リストカットばかり・・・なんて聞いたら辛かった留学と思われるだろうが、私には両親から離れられた事の方が幸せだった。
1年も離れれば何かが変わったはず・・・という期待は、あっけなく崩される。摂食障害だと知った両親からのプレッシャー、監視、引きこもることしかできない私への暴力。妹の非行。むしろ悪化していく一方だった。

早く、早く家を出なければ。
自分の心がどこにあるのか、検討もつかない。とにかくお金が欲しい。おもいっきり食べたい!お金を貯めて一人暮らしをしたい!

いち早く家を出る手段
体を売る事だった。


東京に上京しても女を売る事を続けていた。デリヘル、キャバ、AVやら。もっときわどいものまで、オファーが来るものはどんなハードなものでも興味本位ですべて受けてお金に変えた。
自分が摂食障害であることは頭になかったと思う。食べれるだけ食べてはけるだけ吐いての毎日。それが日常。過食嘔吐をするという事は息をするくらい必要で、なければ死んでしまっていたかもしれない。
裸仕事は傷つく事が多かった。その頃は気付かずにひたすらこなしていたと思うが、その精神状態で最善な仕事とはいえなかっただろうが、こういった業界は何かが引き合わすのだろう、いわゆるメンヘラが多い。

この頃の私がやってきた事、今はやれといわれても絶対むりだ。お金を積まれてもやりたくない。普通のセックスが当たれば、それは大当たりだった。

当時は今こうして自由気ままに自分の好きな事だけを追いかけ、海外を飛び回る生活ができるなんて思いもしなかった。いかに客数をこなし、指名を増やし、隠れた世界でいかに成功するかが生きがいだった。引退するまで相手にしてきた異性、同性の数を数えたら、いったいどのくらいなのだろうか。知る気にもならない。

よく分からない男の言いなりになり、どんなに嫌な客でも満足させる。自分の事を大切にするという意味が全く分からない。趣味も特にない。プライベートでも近寄ってくるモノは絶たない。少しでも良いなと思ったら男女問わず受け入れた。
私の人生は摂食障害と性にまみれていた。

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