見出し画像

タイ編4 等身大のわたし

時が流れるのはとても早かった。
気が付けば、帰りのチケットの日程変更の有効期限が切れる時だった。(この時はすでに3回くらい延長変更していた)

どうしようか迷ったが、帰る気にならなかった。
相変わらず心配性だったので、これを捨ててしまったらどうなるんだと不安な未来を想像しドキドキしっぱなしだったが、まだここに居たい気持ちが優先して、帰りをリファウンドしてもらうことにした。
先の予定は、特に何もない。
現実的に見たら、お金も持ってきてないし、どうやって収入を得ていくのか・・・
そんな事すら考えていなかったような気がする。
怖さをまだ知らなかったから出来たことだったと思うけど、自分の体感覚「まだ帰りたくない」だけに従った。


あっという間に3カ月が経ち、ビザが切れるので延長するために「ビザラン」をしにミャンマーへ向かう。ビザランとは旅人用語である。滞在期間を延ばしたい場合、新しいビザで入国する為に国境を抜け、再度リターンすることだ。
最終的に、1カ月のつもりの滞在予定が半年となった。ミャンマー抜けは一か月ごとに3回するに至った。

チェンマイではアメリカ人のボーイフレンドが居た。
これから各国々でその土地の男や旅人たちと付き合っていくことになるの。
それまでも外国の人と付き合った事は何度もあったのだが、一緒に住んでみようかと思ったのは初めてだ。
ただ、これは恋したから「一緒に居たい」というより「家賃が折半できる」から、の理由の方が強かったのだと後から気付く事になる。

男が途切れたことがない私だったけど、全て幸せな恋愛をしていたわけでなく、苦しくて切なくて激しい恋の方が多かった。
この何年かで恋愛に対するパターンにもよくよく向き合わされることになる。
旅というのは、自分の価値観や固定概念、自分における全ての思考が明らかに現実に現れる。いつまで経ってもこの感覚は不思議だが、自分のそのままの姿が良いも悪いも洗いざらいにさせられる。

全てが楽な旅では決してなかった。
いろんな経験を通して、自分そのものを突きつけられる。
思考パターン、概念、お金、人間関係、人生・・・

長い旅を通して
今までどれくらい自分の事を大切に扱えず、放棄していたかを身をもって知る事になる。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?