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プラント依然 植物と生命あるいはフェティシズムの断面について

リモート出勤によりほぼ1日家にいるので、なんとなく植物と花を育て始めた。

最近育て始めた銀月。美しい名前と純白の綺麗な姿がどこか浮世離れした雰囲気がとても気に入っている。


最初はインテリア的な観賞用にと、自作でテラリウムを作って仕事しながら目に入るところで楽しむだけのつもりだったが、最初に育て始めてから2週間ほどで、3鉢にまで増えてしまっている。

外に出られず自然に触れる事もできないので自分の部屋を自然に近づけようとしている心でも働いているのか、それとも昔からの蒐集癖が働いたのかは定かではない。
さかしまのデ・ゼッサントの如く好きなものだけを集め自分の部屋に人工の小宇宙を築き上げようとしているようにも見える。

A REBOURS – Joris-Karl HUYSMANS 挿絵


もちろん以前から花や植物に興味はあったが、なんとなく躊躇してしまう理由があった。
その理由は澁澤龍彦のエッセイにある。

植物の花とは、植物の生殖器である。植物は頭を地中に深く突っこんで、生殖器をさらけ出したまま、逆立ちしているのである。 - 記憶の遠近法
ところで注意すべきは、花とは植物の性器である、という事実だ。 誕生日の贈り物に、馬や猫の性器をプレゼントしようなどと考える人間はどこにもいないにちがいない。 -エロティシズム

花も恥じらう乙女が見たら卒倒しそうな程、身も蓋もない事が書かれているが、澁澤龍彦に傾倒していた当時は「なるほど、確かに」と妙に納得したのを覚えている。

確かに部屋に花(植物の性器)を飾るくらいなら、個人的に蒐集した物でも飾っていた方がいいと考えていた(ガンプラでも可)。

ただし花の美しさも理解はできる。そして最近はやたら植物や花に心を惹かれる事が多くなってきている。
おそらく近いうちに自分の部屋は花や植物で溢れることになりそうな予感さえする。

ただ何故人は花を美しいと感じるのだろうと考えた時、真っ先に思い浮かんだのはロバート・メイプルソープの花の写真だった。


Robert Mapplethorpe  -Flowers

メイプルソープは緻密な構図で耽美な黒人男性のヌードや女性ボディービルダーの筋肉美などの作品で知られ、晩年には被写体の対象が花へと移行していくが、対象が人から花になってもメイプルソープの耽美的な性癖が表現されている。

少し触れただけでも壊れてしまいそうな程に静的で官能的な花。

生命としての強さ、花弁の柔らかさ、繊細な質感が内包された知的なエロティシズムの彼岸にタナトスの要素をも感じる事ができる。


精神分析の祖であるフロイトによると人間の本能は突き詰めればエロスとタナトスに辿り着くという。

それ故に人は本能的に花を美しいと思うのかもしれない。
花が美しいと感じると共に、花が散る事にも趣を感じるのはタナトス的な要素であろう。

生と死、美と破滅、相反しながらも両立し、混在することによって人間と世界が成り立っているのであれば、部屋に小宇宙を見立てるのに花や植物は最適なものであるのかもしれない。

そんな事を考えながら部屋に飾られた植物や花を見るとそれは単なる植物の性器としてではなく、アンビバレントな二面性を持つアンドロギュヌス的な美しさを垣間見た気がした。



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