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[2月第2週] Weekly DAO Report Vol.56|「コードの選択は極めて政治的」という現実 DAO規制のあり方で押さえておくべき文献シリーズ①「サイバースペースの規制」 

日本では、DAOをはじめとしてデジタル社会(Cyberspace)への規制に向けた議論が始まっている。デジタル社会にはとかくデフォルトで「自由」というイメージがつきまとうが、やり方によっては最も規制が厳しい空間になる可能性がある。とりわけ、リアル社会にない「コード(Code)」が規制の方向性を決めてしまう点には細心の注意を払う必要がある。時代背景は多少違うが、Lawrence Lessig氏が1998年にTaiwan Net'98カンファレンスで話した「The Laws of Cyberspace」から現在のDAO規制の議論も学べることは多くありそうだ。

4つの規制

Lawrence Lessig氏によると、ルール違反をした者を罰する法律 (Laws)は規制の要素の一つに過ぎない。社会習慣(Social Norms)、マーケット(Market)、アーキテクチャ(Architecture)も規制の重要な構成要素だ。この中で、とりわけデジタル社会の規制で見過ごされがちなのがアーキテクチャであり、デジタル社会において「コード」がそれに該当する。

アーキテクチャとは何か?「壁があることによって隣の部屋の様子が見えないこと」はアーキテクチャの単純な例だ。法律でも社会習慣でもマーケットでもない「壁」という自然な要因によって、あなたの行動は規制される。デジタル社会のアーキテクチャはコードだ。コードはある行動を可能にする一方で別の行動を抑制する。

例えば、1990年代のシカゴ大学ではネットに誰もがアクセスできて匿名でコミュニケーションができた。対照的にハーバード大学ではネットにアクセスするためにはユーザーは大学側からライセンスを得て事前に承認される必要があった。ネットへのアクセスは常に監視の対象になり、匿名での会話は許可されていなかった。

言い換えると、シカゴ大学はインターネットのアーキテクチャを採用し、ハーバード大学はイントラネットのアーキテクチャーだったと言える。根幹となるプロトコルは両者ともTCP/IPだ。ハーバードのネットワークはプラスで監視のための権力を付与するプロトコルを加えていたことになる。

政治がコードを選択する

ここで認識しなければいけないのは、コードは自然に「付与されたもの(Given)ではない」という点だ。そこには政治の判断が必ず付随している。政治的な意志は言論の自由なのか言論統制なのか、アーキテクチャの選択が重要になる。Lawrence Lessig氏はなぜこの点を強調するのか?過去に米国の最高裁でデジタル社会のアーキテクチャの選択を「付与のもの」と捉えて出した判決があるからだ。

特にこの分野の規制について考える評論家や法律家たちが犯している最大の誤りは、まさに最高裁判所の誤りです。それはサイバースペースにも自然主義が適応できるという誤りです。私たちが現在も手にしているアーキテクチャが不変のもので、今後も同じものを持ち続けるという考え方の誤りです。この空間が、自由を保証し、圧政的な政府を必然的に無力化するという考え方の誤りです。

The Laws of Cyberspace - Lawrence Lessig

デジタル社会を規制するとは何か?法律、社会規範、マーケット、そしてアーキテクチャの4つの面で総合的に考えなければなりません。とりわけアーキテクチャの部分に注意を払わなければならないのは、デジタル社会においてアーキテクチャに該当するコードが、ある意味事前に与えられたものと誤魔化される危険性です。コードの選択は政治的なのであり、すでに政府との駆け引きは始まっているのです。

著者:大木 悠 (Hisashi Oki)Asia BD Lead, dYdX Foundation
早大卒業後、欧州の大学院で政治哲学と経済哲学を学ぶ。その後、テレビ東京のニューヨーク支局に報道ディレクターとして勤務し、2016年の大統領選ではラストベルト・中間層の没落・NAFTAなどをテーマに特集企画を世に送り込んだ。2018年に日本に帰国し、コインテレグラフジャパンの編集長を務めた。2020年12月にクラーケンジャパンの広報責任者に就任。2022年6月よりdYdX FoundationのJapan Lead。2024年1月より現職。

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