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プロジェクトと文化

プロジェクトをうまく進めるためには何が必要なのだろうか?
プロジェクトの炎上はなぜ生まれるのだろうか?
プロジェクトの管理手法を身に着けても、うまく進まないことがあるのか?
アジャイルな進め方をしてもなぜ陳腐化するのか?

うまくプロジェクトが進まない場合、前提が間違ってることが多い。
プロジェクトは思いどおり進むはず(コントロールできる)だと。
思い通りとは計画通りを意味するが、未来を完璧に予測できない以上、
完璧な計画などなく、思い通り進まないことが前提となる。
だから、思い通り進まないとして、どうすかるが重要になる。
計画の中にもうまく行かない場合どうすかを考えるリスク管理があり、
またプロジェクトが進んでいく中で状況に合わせて対応し、時には計画をみなおすことも必要になる。

プロジェクトがうまく行かない前提で動いていたとして、それでもプロジェクトの成功に近づかないことがあるのか?
プロジェクトがコントロールできるはずだという思い込みの次は、人をコントロールできるはずという思い込みではないだろうか。
プロジェクトの歯車として組み込まれた人は、プロジェクトを進めるために動くはずだと。
サボっているわけでもなくタスクも消化されているがプロジェクトが進んでいるように感じない。どうも噛み合っていない。

どういうときに噛み合うのだろうか?
自らの体験も思い起こせば、プロジェクトと文化が混ざるときではないだろうか。ここでいう文化とは思考およびコミュニケーションの体系を意味している。プロジェクトの目標・目的に対して、関係者たちの思考方法や価値観、利害、意思疎通の一連の様式が統一されたときにプロジェクトの成功へと動き出す。
あのプロジェクト良さそうだったのにうまくいかなかったねみたいな経験はないだろうか?プロジェクトの目的が如何に崇高だとしても、参加する人たちの文化が合わなければプロジェクトは沈んでいく。
プロジェクトは計画だけではなく個人一人ひとりに焦点をあわせていくことは、プロジェクトの文化形成において重要である。(なにを当たり前のことを思う人も多いと思うが、人を見ないという人もおり、また肩書で人をみる人も多い)
個人の生活の仕方や価値観がより多様になる時代では、プロジェクトと文化を分離して考えることはできない時代ではないだろうか。

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