Dyson
プロジェクト世界の対立と両義的媒介項との出会いを求めて、 躓き(つまづき)ながら創造的に誤読していく。 横文字の美術館で、平凡に見えて奥深い絵画を探す。 鑑賞の中で集団・労働・価値の意味を問う。
中沢新一 構造の奥 自分の理解度が浅いが3回ツイストさせればパクリじゃなくなることなのか?
まず「二元論の超克」という仏教と構造主義に共通した主題をあげることができる。 中沢新一著 構造の奥 確かに両者の大きなテーマである。構造主義は構造化しづらいものを扱ってきたこその主題だな。
密教が日本に伝来するまでに数々のバトンが渡されていく様。 悟りに向かって金剛界曼荼羅の呼吸する様。 胎蔵界曼荼羅で悟りのため仏が集う様。 とても良きかな。
プロジェクトの社会性を考えるとプロジェクト同士がおしゃべりをして比較して仲間をみつける。
商品の社会性を考えると、物象化、物神崇拝の末、商品のファンタジーな仮想空間が現実世界にオーバーレイされているのではと至るが、奇人的な内容なので大きな声では言えない。
人を動かすことを神話論理から学ぶことを思いつくも、まだふわふわしており、言語化すると大事なことが欠ける気がするするので記事は少し見送る。 分節、脈動、両義これらが起点となる。
OSS(オープンソースソフトウェア)活動をしようとしている。公開対象はほぼできている。いまは推敲を重ねているところだ。活動の動機を改めて探ると、統合的な思考法を実践的に広めたい(仮)が動機かもしれない。
資本主義は人間が作り出した商品の世界。人間という装置を使って、増えたり、会話をしたりする。商品は口を持たないがおしゃべりである。
way_findingさんの「『神話論理』を深層意味論で読む」を読み始めて実感しつつあることは、心の分節機構は無意識にオートメーションで動いていて、心臓が鼓動するが如く今も気付かず動いていること。
構造には静と動の2種ある。 ひとつは積分、ひとつは微分。 日常生活でいう構造は静(積分)のほうである。
最近は『動く / 動かない』について考えることが多い。 もはや重要テーマになっている。
今までのやり方でビジネスがうまく行かないなら、物質的豊かさを得て、その家庭で失われた持続性に目を向けないから
これからのプロジェクトマネジメントの力点は如何に管理するかから、如何に動かすかに移る。
意識のすべてが対立の選択の結果だとすれば、言葉のすべては選択の結果としての哲学が記述されている
言語も商品も(非-非Aという)社会性を備えることで発展するが、人間はそれを無意識に行なっていることに驚きと不気味さを感じる。
執筆とコーディングは書くという点では似ている。一方で直線で書くか、階層で書くかでことなる。コーディングのインデントが象徴している。