Uターンした当初、何をしていたか?
住み始めてすぐ感じたこと
高校を卒業して家を出てから35年が経過していた。人生の2/3を県外で暮らしていたことになる。浦島太郎の気持ちがわからないでもなかった。東京へ単身、働きに行った当初は知り合いは誰もいなかった。それとは少し違うのは当時の記憶のまちの姿がなんとなく残っていたこと。
出身校の同級生の2/3は今も県外で暮らしている。あとは卒業して地元に就職したか、家業を継ぐためにUターンしてきた人たちが若干。
生まれ故郷なのに、別のまちのような気がした。親戚の叔父叔母も多くはすでに亡くなり、疎遠だった従弟がいる程度。要するに「ほぼ独りぼっち」だった。
これからこのまちで自分はどのように生きてゆくんだろうという思いにかられていた。
このまちで今何が起こっているのかを調べてみた
過去を振り返っているだけでは何も始まらない。今のこのまちがどうなっているのかをまず知りたかった。そこで思いついたのが市議会の議事録と総合計画、産業統計などを読むことだった。
東京で働いていたときは分刻みのような仕事ぶりだったけれど、今は自分の自由になる時間が沢山ある。数年分の議事録を読み進むうち、次第に何が起こっているのかがおぼろげながら見えてきた。
次に市が企画する「まちづくりの勉強会」に参加してみた。このまちに住む人たちと実際に触れあってみて、どんなことを考えているのかを知りたかったから。
ただ、この勉強会は数回出席して辞めることにした。なぜなら、毎回お花畑議論が続くだけで、具体的で建設的な話になりそうもなかったから。理由はすぐわかった。自分のようにこのまちの外側から見た風景が見えていないと思ったから。中のひとは中の状況がなかなか見えないんだと思った。
課題はある程度、抽出されていると思えたけれど、解決策を考えるアプローチが中の発想でしかないので、それではこれまである程度考えつくされたものしか出て来ようがない。外側から眺めて別のアプローチを考えるという発想に欠けているようにしか見えなかったのだ。
次に何をしたか
仕方がないので、次はこのまちの若い世代の人との接点を作ってみようと考えた。彼らが今何を感じ、何を課題として考えているのかを知りたかった。
たまたま、メンバー制のコワーキング・スペースを見つけたので、そこに顔を出してみた。そこには様々な人たちが集い、交流する場があった。そこで開催される交流会、飲み会はすべて参加してみた。それ以外の飲み会なども紹介されたのですべて参加していた。
そうこうするうちに、少しずつ顔見知りが増えてゆき、そこから紹介の輪が広がって気が付いたら年間で200名以上の人たちと出会っていた。
そうこうするうちに・・・
自分でも飲み会や勉強会を企画してみたら、なんとなく人が集まってくるようになって、いろんな人との交流も深みを増していった。そういう関係のなかでこのまちがどんなまちで、これから先どうなってゆくべきなのだろうと考えるヒントを沢山もらえるようになってきた。
あれから2年、気が付けば少しずつ仕事も受けられる機会を得、自分の事業のカタチがおぼろげながら見えてきた。いろんな方に相談に乗ってもらったり、相談を受けたりする機会も増えている。その中で自分が何ができて、どんな貢献ができるのか、そういう考えが次第にわかるようになってきて、自分のビジネスコンセプト、事業モデルが固まってきた。
コロナ禍で修正を余儀なくされたこともあるが、なんとなくこのまちで生きてゆくテーマがはっきりしてきたように思える。
しかし、まだスタートラインに立ったばかりだ。
人生の折り返しを迎え、第二幕が始まる。
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