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85.7:58 友人にケチと言われた話

どんよりした日曜日の朝。
昨夜はオーロラが各地で見えたそうだ。
素敵だ。
特別な時間だっただろう。
昔同僚が、両親にオーロラ観測の旅をプレゼントしていたことを思い出した。
その話も素敵だと感じた。


私は年齢を重ねているので現代の若者の金銭感覚は分からない。
ただ、自分がかつて若者と呼ばれていたころ、友人たちは私を「ケチ」だと言っていた。
とても傷ついたことをおぼえている。

あれは20歳くらいのこと。
友人ふたりと私の3人で、ガストに行った。
昼ごはんには遅く、夕飯には早い時間帯だった。
店内は混んでいなかった。
友人ふたりは空腹だったようで、各々ハンバーグのセットなどを頼んでいた。
対する私は、空腹は感じていたものの、食事をしたかったわけでもなく、また学生だったため持ち合わせも少なかった。
頼んだのは、ドリンクバーだった。

そして、ひとしきり話したあとのお会計。
友人Aがまとめて払ってくれた。
店を出て、私は自分の頼んだドリンクバーだけの金額をAに払おうとした。
するとAが、「計算が面倒くさいので3等分しよう。」と言い出した。
え?
なんで?
私はそう思った。
友人Bもそれに賛同した。
え?
重ね重ね、なんで?
どういうこと?
二人は似たり寄ったりの金額かもしれないけれど、私はただのドリンクバーである。
かなり金額に差があるので、不公平だと感じた。

素直に、「私はドリンクバーしか頼んでないけど?なんで3等分なの?」と言った。
すると、友人たちは逆に「え?」という顔をした。
明らかに面倒くさそうに、「3等分でええやん、一緒に食べたんやし。」と言われた。
いやいやいや、だから私はドリンクバーだけなんだけれど。
「え?食べてないけど?」
という私の主張で、私はドリンクバー分を払うことになった。

ただ、その時Aにももうひとりの友人にも、「ケチだよね。」というようなことを言われた。
食べた量に関わらず、同じ時間を共有したのだから、等分するのが普通だと。
私には全く理解できない論理だったので、本当に驚いた。
そして、ケチだと言われたことがとても辛かった。
お金を十分に持っていない自分がすごく恥ずかしかった。

それ以来、その友人たちとご飯を食べに行くことはほぼ無かったと思う。

確かに、私は自分が損をしたくない人間だと自覚していた。
特にお金については、仕送りとバイト代でやりくりする学生だったため、潤沢なわけではなかった。
お金を使うことに、かなりシビアだった。
友人たちは、自分のお金も仲間のお金も「一緒」だと考えている節があった。
私は、モノやサービスの対価にお金を払いたい人間だったが、友人たちは「時間」にお金を払うタイプだった。
単純な金銭感覚の違いだったのかもしれない。
ただ、その違いが私たちを徐々に疎遠にしていった。

私は友人に「ケチ」というレッテルを貼られるという経験をした。
今なら、「ケチ」で結構。
あなたと私は金銭感覚が違う、と割り切れる。
金銭感覚が違う人間とはうまくいかないと分かっているから。
ただ、当時は自分が「ケチ」であるために、友人を失ったような気がした。
しかし、私はどうしても、友人たちの考え方には馴染めなかった。

いろいろな考え方いるのは分かっている。
自分だ正しいなんて言うつもりは全くない。
ただし、友人たちの金銭感覚に違和感を覚えたなら、そっと離れるのも一つの手だと思う。
その友人からは「ケチ」だのなんだの言われるかもしれない。
しかし、自分の価値観は大切にした方がいい。
無理して合わせても、決していい結果にはならないから。
かと言って、いつでも自分の価値観を貫き通せと言っているのではない。
もし妥協できる範囲であれば、他人の価値観を尊重することも大切。

ああ、他人と付き合うのって、本当に大変だな。

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