2022.11.20

気づけば11月になっていた。最近、時間感覚がおかしい。次、気づいた時には多分もう年が明けているだろう。

丸の内のビル街をスーツで歩いていると、まるで自分が会社員のようだと思い、ああそうか、自分は会社員なのだったと思い出す。夏から数ヶ月に渡って在宅で仕事をしてきたがそれも終わり、今月から再び慌ただしく朝の満員電車に揺られる日々になった。帰りの電車では決まって頭痛に襲われる。朝から夕方まで人の目を意識することが率直に辛い。これは自分の過剰に肥大化した自意識が原因でもあるのだろうけど、多分もう、治らない類のものだから仕方がない。

社内の人事異動通達で4月に新人研修で同じグループだった同期がひっそり退職していたことを知る。入社後の半年間で彼は何を考え、この場所から去ることを決めたのだろう。

少し気になりLINEしてみようかと思ったけど、結局やめた。

思えば自分は事あるごとに誰かにLINEしてみようかと考えるのだけど、迷った挙句に大抵やめてしまう。「何となく連絡をすること」のハードルがとても高い。相手の時間を奪ってしまうのでは、とか、迷惑ではないか、とか色々考えてしまって、特段の用事がないかぎり連絡できない。友達が少ないのもそれが原因の一つかもしれないな。

今日は久々に何も予定がない一日だった。今月は何かと忙しなく動き続けていて心も身体も疲れきっている。ふと最近の自分を振り返ってみて、一体何をそんなに焦っているのだろうと懐疑する。そして、どうせ死ぬのに、とか考えて、何もかもが馬鹿馬鹿しいような気分になったりする。

結局のところ「何かしていないと不安」なのだと思う。何もしていない自分、どこか停滞しているような自分に耐えられない。だから平日の仕事終わりや休日にも、何かしらの予定を入れなければと考えてしまう。

入社以降4つの資格を取ったのも、不安に抗うための、ある種の処世術であったかもしれない。何かしなければという焦りが、別にしなくてもいい勉強にすら駆り立ててしまうのだ。

この前、初めて関わったプロジェクトが無事に終わり、周りから成長を褒められたりした。それなりの満足感も感じたけれど、その内側で、自分の中に途方もない無力感が巣食っていることを逆に自覚させられた。

自分がやっている仕事というのは結局、他の誰かでも出来ることだ。もし自分がいなくなっても他の誰かに仕事が渡り、何の問題もなく社会は回るだろう。言うまでもなく、自分という存在は社会の中の代替可能な一つの小さな歯車に過ぎない。

歯車を何年も続けるのは、自分には難しい。耐えられない。

誰からの指示も受けたくないし、誰かに指示したくもない。自分という人間を独立させ、全て自らの裁量で仕事ができれば一番良い。「幼稚な考えだ」と思う人もいるだろうけど、それが正直な気持ち。

将来的には、文章を仕事にしたいと考えている。そのために夏頃から少しずつ動いていて、そちらで多少の収入も発生するようになった。来年にはさらに軌道に乗るといい。


通知を見てnoteを始めて3年経ったのだと知った。

3年で10万回近く見てもらったらしくて、何だか想像もつかない数字になっていてびっくり。最近は更新を全然できていないけど、読んでくれてる人はありがとうございます。

また書きます。

読んでくださり、ありがとうございました。 今後より充実したものを目指していきます。