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半径50kmのデザイン、Lo-fab、Design Repair −アフリカデザインセンターによるルワンダ・ルヘヘ小学校の実践

この記事では、Christian Benimanaが創始したアフリカデザインセンター / MASS Design Groupによる、ルワンダにある「ルヘヘ小学校」の事例を紹介したい。

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ルヘヘ小学校の事例は、人口が激増するアフリカで均質化した開発が次々と進行するなか、地域の人々の手によってバナキュラー(土着)な建築が生み出されたという、見た目の側面においてまずもって印象的だ。しかしながらそれ以上に本記事で伝えたいのは、「ローファブ lo-fab」=半径50kmのヒト・モノ・技術の採用、および「デザインリペア design repair」=地域の人々による修繕・修正・拡張を可能にするというコンセプトを埋め込んだ、その精神である。

ルヘヘ小学校の建築事例はさらに、モノとしての建築のレベルを超えて、「建築する」という行為が資本を持つ人々に特権化されてしまった文脈を解体し、ヒト・モノ・技術、およびコミュニティやアイデンティティといった関係性をも修復 repair していこうとする営み="精神的リペア"であることについても、記事後半で触れていきたいと思う。


アフリカの人口激増とメガトレンド・ChinAfrica

建築事例の紹介に入る前に、アフリカを取り巻く状況を整理しておく。

アフリカでは現在人口が激増しており、現在13億いる人口は、2050年までに約25億にまで増えると推定されている。25億は現時点での中国とインドの人口を足した数とほぼ同じだと考えれば、これがどれほどのインパクトを持つかは想像できるだろう−いわば2050年までに、もうひとつ中国が生まれるようなものなのだ。

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( 画像出典: https://www.statista.com/statistics/1224205/forecast-of-the-total-population-of-africa/ )

ここで当然課題になるのが住居不足の問題で、現時点で住宅はおよそ7億ユニット不足しているという(出典: https://www.youtube.com/watch?v=itLUXZnLRn8 )。

その一方で、アフリカの建築家の数は圧倒的に不足している。他国と簡単に比較してみると、以下のようだ。

・アフリカ:人口13億に対し、建築士3万5000人
・日本:人口1.3億に対し、建築士37万人
・アメリカ:人口3.3億に対し、建築士8万人

(日本の建築士の数は一級建築士の数とした。出典: https://www.jaeic.or.jp/shiken/k-seidozenpan/index.html 。アメリカの建築士の数はwikipediaより。出典: https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BB%BA%E7%AF%89%E5%A3%AB )

日本が異常に多いことは差し引いても、アフリカの建築士の数が圧倒的に不足していることがわかるだろう。

当然、ここで問題になるのが、「誰が設計し、誰が建てるのか?」という問題だ。

少なくとも現状に目を向けてみれば、その解は「中国が設計し、中国が建てている」ということになる。アフリカの急激な人口増と、およびそれがもたらす急激な経済成長のなか、台頭するメガトレンドが「チャイナフリカ ChinAfrica (shinwafurika)」だ。

現在、アフリカにおける中国による建設事業は次々に増えており、例えばルワンダで最も高いビル「Kigali City Tower」もその一例だ。アフリカにおける建設事業の、なんと1/3を中国企業が担っているという。中国の企業により、中国の労働者が次々にやってきて、中国のモノが輸入され、中国のように見える建物が次々に建った…とCher Potterは述べる。

ツイートで述べたのは、中国・中信建設によるアンゴラ・Kilamba Kiaxi(キランバ・キアッシ)の開発プロジェクトだ。写真を一目見ただけで、極めて大規模な開発プロジェクトであることがわかる。Cher Potterによれば、20,000のアパート、246の店舗、24の保育園、17の学校、2つの地下鉄が建設され、そしてそれらが「たった4年」で建設されたという

ここでは中国による開発が良いのかどうかに関する評価は控えたい。切迫した住居需要に対し、それに応答した(できた)のが中国だったとすれば、少なくともそれに応答しなかった私たち、できなかったアフリカ側にも、その責任の一端はないとはいえない。

建築家を育てる。アフリカデザインセンター(ADC)の設立

当然アフリカ側としても、建築家の育成は急務とされた。そこで建築家の育成を促進するため、Christian Benimanaの手によって設立されたのがAfrica Design Center(以下、ADC)である。

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(画像出典: https://www.youtube.com/watch?v=itLUXZnLRn8 )

ADCを立ち上げたBenimanaはルワンダ出身で、中国の同済大学 (Tongji University)にて建築と都市デザインをまなんだ建築家である(彼は飛行機に乗ったのも、ルワンダを出たのも、そのときがはじめてだったと述べている。2008年のことだ。なぜ彼は中国へ向かったか?なぜなら当時、ルワンダに建築家になれる教育機関がなかったからである)。同済大学はバウハウスとも長い繋がりがあり、当然そこで学んだBenimanaは、ADCにこのバウハウスの流れを引き継いだ。

下図はバウハウス教育のカリキュラムである。教育は外側から中央に向かって進んでいくが、最後のフェーズ、すなわち最も中心部には「建てる BUILDING」とある。すなわちADC/Benimanaがバウハウスから受け継いだのは、「現場で」「実践を通じて」まなぶという態度なのである。

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(孫引き。出典: https://bulan.co/swings/about_bauhaus/ )

一方で、このバウハウスの流れを受け継いだADCが、バウハウスと違う点があるとすれば、それはバウハウス建築が、富裕層クライアントのための教育であったということだとCher Potterは言う。Benimanaは、そのバウハウスのコンテクストをいかにアフリカに適用するかに腐心したという。

ADCが重要視した2つのコンセプトをここで簡単に紹介しておこう。

1つ目が「デザインリペア design repair (kabaza vugururwa)」である。これは2つのことを意味している。

ひとつめは何かを修復 repair する際に、全体を(すなわち、資本家/専門家によって)作り直す必要があるような設計にするのではなく、地域に暮らす私たち自身で修復していけるようにするということ。もうひとつはより抽象的なものだ。すなわち、「デザインとは、コミュニティを修復 repair する手段である」というコンセプトである。これをより拡張すれば、ADCはいわば「プレ-モダニズム」と「モダニズム」との関係性をもリペアする概念である、とCher Potterは述べている。

2つ目のコンセプトは「ローファブ lo-fab (locally fabricated)」である。

日本語に簡単に訳せば「地域で作れる」というような意味である。これは単に、その場所で作るということだけを意味しない。地域のコミュニティと協力し、建てる人、建てるためのマテリアル、建てる技術といったリソースが、その地域の中から調達できるということ−可能な限り「現場から50km以内で調達できること」。それがlo-fabである。

半径50kmのデザイン-ルワンダ・ルヘヘ小学校の実践

上記のコンセプトの実践事例となった、ルワンダにある、1,120人が通う小学校、「ルヘヘ小学校」の事例を紹介する。このプロジェクトは、Benimanaが代表を務めるMASS DESIGN GROUPがリードし、ADCのフェロー(後述する)とがチームを組んで実行したものだ。

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ここでは、THE PLANの記事( https://www.theplan.it/eng/award-2019-education/ruhehe-primary-school )をもとに、ルヘヘ小学校建設プロジェクトの4つの特徴的な点を抽出したのち、それをローファブ lo-fab およびデザインリペアの視点で改めて編み直してみる。

4つの特徴的な点は、以下のように整理できるだろう。

1. 土着建築 Vernacular 
まず特徴的なのは、その土着的な vernacular 建築である。ADCのチームが、地域と協働しながら地域の建築慣行や素材を研究し、生み出した景観である。壁面は地域の火山岩を利用したもので、また地域の粘土を用いたレンガや、この地域独特の粘土瓦などが採用されている。

2. 地域リサーチ/地域との協働
このプロジェクトでは、Ruheheのコミュニティとのワークショップに取り組んでいる。教師や生徒、コミュニティのニーズを受け入れた結果として、小学校はなだらかに湾曲した形で配置され、来場者をやわらかく受け入れるようなスロープになっている。

3. 建築家の育成
ルヘヘ小学校の建設プロジェクトでは、ADC側が提供するプログラム(20ヶ月の国際的なプログラム)の一部として10名のフェローを受け入れを行い、建築家の育成をおこなっている。「現場の」「実践を通じて」まなぶ精神が反映されている。

4. 雇用の創出
ルヘヘ小学校の建設プロジェクトでは、地域の人々を建物の建設に巻き込み、トレーニングまで行っている。雇用されたのは110人で、うち大多数が地域社会のメンバーだったという。これはこの地域における(特に若者の)高い失業率に応えており、労働者のうち35%が女性、18%が若者だった。女性の多くは大工仕事や石積み、石の破砕といったトレーニングにも参加し、その結果「私たちも、男性とともに働くことはできるのだと気づいた」という。

これらの特徴はまた、人材や物資の調達価額を下げることにも繋がったことも指摘しておくべきだろう。

さて、上記の点を、改めてローファブ lo-fab の視点から見返してみよう。ローファブとは、地域のコミュニティと協働し、モノやヒト、技術などのリソースを、可能な限り半径50km以内から調達しようというコンセプトであった。

まずマテリアルという視点から見てみる。ここでは土着的な景観のために、地域の素材と技術が用いられている。壁面、レンガ、瓦などには、火山岩や地域から産出した粘土など、地域の素材・技術が用いられており、結果として建築材料のうち80%以上が、現場から50km以内で調達されている(150km以内なら99%)という。また地域外からの材料を輸入する際にも、持続可能性の観点から、炭素の影響を最小限に抑えるよう入念な計画が練られたそうだ。

ヒトという視点では、地域から労働者を雇用している点に着目すべきだが、更に重要なのは、ここで地域の人々への「トレーニング」を行っている点にある。つまりここでは(デザインリペアにも繋がるが)、自分たちで建築していくための技術を、改めて地域の中に埋め込んでいるといえる。

ジェイン・ジェイコブスは「発展する地域 衰退する地域」(中村達也訳・2012)のなかで、経済の拡大のためには「輸入置換」が重要であると述べている。これまで輸入に頼っていたものを、次々に自分たちでつくるように置換していくことによってこそ、発展は起きる−「発展とは、自前でやる過程である(p.221)」−というのである。その意味でlo-fabとは、いわばその発展の基盤を埋め込むような営みだとは言えないだろうか?

続いて、デザインリペア design repairの観点から見てみよう。

ここでは、地域にあるマテリアルと、地域にある技術(例えばレンガづくりや瓦づくりなど)を用いており、また地域の人々に建築プロジェクトに参加してもらっているという前提がある。そのため、この学校のどこかが壊れてしまった場合でも、域外からモノ・ヒト・技術を改めて輸入することなく、彼ら自身で直す repair ことができるのである。また場合によっては、増改築の可能性に際しても、同じようなテイストの未来を、自分たちで描いていくことが(一部ではあれど)可能になるだろう。

これらの記述は、「地域の伝統に基づいたデザインが、モダンにリデザインされた」とか、「地域の人々が、建築現場で働く技能が得られた」といったような個別の次元に還元すべきではないだろう。lo-fabとdesign repairが折り重なっていくように、それらは地域の中に編み込まれた(編み込まれていく)ネットワークそのものを生み出したのであり、それはいわば、地域の人々と、地域にあるリソースとの関係性自体をも編み直していく営みなのではないだろうか。

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"精神的リペア"

当然このデザインリペアの視点は、マルクスやイリイチが警鐘を鳴らすような生産工程からの疎外・分断に対し、人々と制作の関係を編み直すものである。リペアは、捨てる(=買う)ことの疎外を意味しており、その意味でリペアは極めてラディカルな行為であるとパタゴニアの元CEOローズ・マーカリオは指摘している。

ほかにも、修復できるデザイン restorative design というアイディアがあ2019のミラノトリエンナーレにおいて、MoMAのPaola AntonelliおよびAla Tannirによって提出されていたり、デザインにおける修復 fixing in designという考え方が示されたりしているという。

しかしここにおいて重要なのは、リペアが物理的なリペアから"精神性なリペア"へと、その視点がシフトしていることにある。Benimanaは建築家の義務は人々と環境の関係性を回復するような建物を建てることだとしている。

ここで目指されていることは、建物のリペア…修理、修正、拡張が彼ら自身でできるという意味でのデザインリペアを遥かに超えている。

すなわちデザインリペアの精神とは、人々と人々、マテリアル、技術、コミュニティ、建築、環境、その全体の関係性までをも修正 repairしていくことを意味しているのである。これはまた更に、植民地時代の断絶を超えて、人々と、地域の伝統と、資本主義的な発展との関係性をもまた修正しながら、人々自身がリペアしていくための力を与えていく試みだと言えるだろう。

これを単なる、遠い異国の小さな実践だと見なすべきだろうか?

私たち自身、建物を"建てる"工程からは、端から疎外されてきた。さらにGuy Julier(2017)は、私たちは「将来、引っ越し/売却しなければならない」ことを見越して家具やインテリアを選んでしまうことを指摘している。……すなわち今や、住宅は「自由にできるプライベート空間」であるどころか、私たちは建築後の建築からすら疎外されているのである。同様にフィンランドの建築家ユハニ・パルラスマはいまや、私たちが建築するのではなく、建築が私たちを規定するのだと述べている−「建築はそれ自体が目的なのではない。建築が現実の人間の経験を条件付けし、変容させるのだ」。建築と私たちをとりまく関係が複雑化するなか、"リペア"の概念は私たちと建築、そして建築を取り巻く生態系との関係性に修復を迫っている。

国内においても、VUILD秋吉浩気氏が「建築の民主化」を掲げるなど、その関係性の編み直しの動きは加速している。脱植民地デザイン decolonising design など、多様な形で既存の二元論的な関係性が見直されるいま、中国洋式の建築物が急増し、自身の実存をも浸食されるなかで、自分たちのアイデンティティをグローバルに再構成しようと試みるアフリカに目を向けることの意義は大きい。

参考

ADCを設立した、MASS DESIGN GROUPの創設者でもあるChristian BenimanaによるTED talk。(非常に刺激的なのでぜひ見て欲しいです)

アフリカでの建築の流れをまとめたHEAPSの記事。


Julier, G. (2017). Economies of Design. SAGE.

イヴァン・イリイチ.(1989). コンヴィヴィアリティのための道具. 日本エディタースクール出版部.

ジェイン・ジェイコブズ. (2012). 発展する地域衰退する地域: 地域が自立するための経済学. 筑摩書房.


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