2024年2月14日 「色の分解再構成」

大阪へ行く電車の中で、村上春樹をゆっくりと読む。

 おそらく我々は十九世紀のロシアにでも生まれるべきだったのかもしれない。僕がなんとか公爵で、君がなんとか伯爵で、二人で狩をしたり、決闘をしたり、恋のさやあてをしたり、形而上的な悩みを持ったり、黒海のほとりで夕焼けを見ながらビールを飲んだりするんだ。そして晩年には「なんとかの乱」に連座して二人でシベリアに流され、そこで死ぬんだ。こういうのって素敵だと思わない? 僕だって十九世紀に生まれていたら、もっと立派な小説が書けたと思うんだ。ドストエフスキーとまではいかなくても、きっとそこそこの二流にはなれたよ。君はどうしていただろうね。君はずっとただのなんとか伯爵だったかもしれない。ただのなんとか伯爵というのも悪くないな。なんとなく十九世紀的だものな。
 でもまあ、もう止そう。二十世紀に戻ろう。

村上春樹『羊をめぐる冒険(上)』講談社文庫、p.131-132

いいね、いいぞ、楽しいぞ。

『羊をめぐる冒険』には意外と「右翼の大物」みたいな、なんか概念みたいな人が出てきて、それは陰謀論的なフィクサーなんだけれど、どうもそういうところにノンポリっぽさがある感じで、まあ発表年が1982年ってことはそういう時代だよね、という感じだった。でもそういうあたりから場面が急に過去編になって、いかにも村上春樹っぽい捉えどころのない話が出てきて、鼠は手紙の中で「しかし君にわかってほしいのは、僕が現在置かれている状況の中枢を君に説明しようとすればするほど、僕の文章はこんな風にバラバラになってしまう事実だ」と書いていて、この小説みたいだなあと思うのだった。

大阪へ行く途中で電車の窓から建設中の道路の高架が見えた。この国ってまだ何か建設したり生産したりする力があるのか、と思った。いや本当はそんな力はないと思っているのでただただ徒花としか思えなかった。

大阪へ行ったのは友達と中之島美術館でモネ展を見るためで、モネは想像以上にすごかった。撮影可能な作品もあったから撮影したのだけれど、スマホの画面に映るモネの絵はなんだかパキッとしてしまって、目の前の尊い朦朧とした雰囲気は消え去った。でもそれはそれで、モネが人間の目に対してやった企みがカメラ相手に期せずして成功しているような感じで面白かった。

印象派お得意の筆触分割はすごくて、なんでそんなところにその色を?!という感じなのにちょっと離れて見ると素晴らしくリアルなのだ。もちろんリアルなのが良いということではないけど、なんだかこの人たちだけが世界の色というもの、人間にとっての色というものを分解して再構成してみせたような離れ業だと感じる。

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