読書日記#3 秦正樹『陰謀論:民主主義を揺るがすメカニズム』

今日は秦正樹『陰謀論:民主主義を揺るがすメカニズム』(中公新書、2022年)。

著者自身が、かつてネット右翼、いわゆる「ネトウヨ」だったという異色の経歴。しかし、それは本当に「異色」なのか? 誰でも、いつでも、どこからでも、陰謀論にハマる可能性があるのではないか? それが、本書が提示する危惧である。

本書のアプローチは、どのような陰謀論を、どのような人が、何を通して信じてしまうのかといった問題を、統計を用いて明らかにする、あるいは、傾向を導き出すというもの。

本書ではさまざまな統計が用いられ、それによって、SNSが陰謀論の広がりに与える影響は、言われるほどには大きくないのではないか、という結果や、辛酸を舐め続けるリベラル派が、政治の仕組みそのものに関する陰謀論的信念を受容する可能性、政治に対する知識や関心が高い人ほど、陰謀論的信念を受容しやすいという結果が示される。

その中で、最も目に見えて現れ、恐ろしい結果を招きそうなのが、第3章で示される結論である。第3章は、保守層に受容される陰謀論について。そこでは、ネット右翼やオンライン排外主義者たちは「普通の日本人」を自認する傾向にあり、逆に言えば、「普通自認層」の中で陰謀論的信念を受容する人々の割合は、「保守」や「右翼」を自認する層の中での割合よりも高い、という統計結果が現れる。しかし、「普通」という言葉が示す内容は非常に曖昧で、「普通」と「非・普通」は人によって大きく異なる。つまり、ネット右翼やオンライン排外主義者たちが「普通」を名乗ることによって、そうでない人々の意見が「普通でない」とされてしまう。この構図が広がってしまうことは、本当に恐ろしい。「普通」という言葉は強くて恐ろしい。著者は、章末において、こう述べる。

私たちは時々「普通」のレールから外れ、もう少し俯瞰的な見方に立って自らの政治的意見の位置を振り返るべきなのだろう。そうしたほんの少しの内省こそが、結果的に、陰謀論から距離を置くことにもつながるはずである。

秦正樹『陰謀論』(中公新書、2022年)、p.123

しかし、私がこのことに恐ろしさを感じるのは、私がいわゆる「リベラル派」に数えられる政治的意見を持っているからかもしれない。この時点で、私は一定の政治的意見・知識・関心を持ち、自らの政治的位置を「リベラル」と自認している。このことは、ある程度陰謀論にハマる可能性があることを示している。

陰謀論はたいてい自分の考え・理解を肯定してくれる。だからハマるし、だから危ない。著者が示す対策は、古いようで新しく、新しいようで古い。そこそこの関心と知識を持って、そこそこの気持ちで政党を応援する。あるいは、「リテラシー」を身につける。この辺りは、きちんとしたインターネットユーザーなら、政治に限らず重要で、常識だ。しかし、そのさらに基礎に位置する対策として著者が提案するものは、なかなか実践している人はいないのではないか。それは、「うわさ話を見聞きした際に、『それは自分が考えていたことと同じことを言っている』と思ったら要注意だと、常に意識しておく」である。これは難しい。だが、明確な政治的意見を持っている人ほど陰謀論的信念を受容しやすいということを知った今では、構造は簡単だ。

政治に対する無力感のみならず、国民に対する無力感が増していた今、小さな希望になった本だったかもしれない。

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