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小沢健二には2049年まで生きてもらって、ライブして貰わないと困る(エッセイ)

8/31以降、生活に帰れてない皆さん、お元気ですか?僕もです。

小沢健二はめちゃくちゃ後追いですが、めちゃくちゃ聴いてます。僕の年齢でいうと、りーりーやあまぬの方が近いくらいではないのか?

この音楽家の何が凄いのかという話なんですけど、いい意味で普通の人なんですよね。この人。結構ミーハーな所とか、俗っぽい所がある人。天才天才って言われまくってる割には、凄く常識的な感性を持った人です。

ただ、その感性を表現するとなった時の狂気がもの凄い。絶対に手を抜かないし、納得できなかったらリリースしない。強い気持ち・強い愛のレコーディングは数千万が普通にかかってる。一回OKしたマスタリングテープをもっかい作り直したりしてる。何この計画性のなさ。

改めて歌詞を見てみてもそうなんだけど、描こうとしてる事は至って普通の事。というかほぼこの人のプライベート。恋人が出来て凄く楽しい日々を送ってたら「LIFE」。恋人と別れ、少し大人になったら「球体」。アメリカに移り住んでパーティーと音楽の日々に浸ったら「Eclectic」。南米やアフリカへ放浪したら「環境学」。子供が産まれたら「So kakkoi」。ね?凄く素直に自分の状況とリンクしてる。こう考えると難しい事なんか何もない。明日からりーりーが尺八を始めたら、「尺八やばい」とか言いながら尺八のアルバムを出します。

このブレのなさが気持ちいいというか、アーティストにはこうあってほしいなあと感じます。何というか、タイアップソングは別に刺激になるからいいし、否定はしないんだけど、40超えた既婚者のバンドマンが若者の恋愛ソングとか歌ってると、ん?とはなります。というか、虚構であってほしいと思っちゃう。ガチなら犯罪ですからね。独身ならまだしもね。

韻を踏みまくってるとか、ブラックミュージックと歌謡曲の混ぜ込み方がとか、もちろん素晴らしい。素晴らしいけど、一番根幹的に凄いのは、小沢健二が小沢健二であり続けた事だ。そしてそれは、全くもって偶然ではなく、本人がそれを望んで行動した結果掴み取ったものだ。それそのものにものすごく価値があると思うし、表現するってこういう事なんだろうな、と思う。小沢健二が小沢健二のままで居続けた事そのものが、ひとつの作品というかね。

だってさ、LIFE再現します!みんなのやってほしい曲を教えて!と呼びかけた結果「久しぶりに僕のライブ来る人が多いから、最近の曲やりまくります!同窓会で最近何してるか教え合うみたいにね!」だからね。自由すぎるでしょ。けど、それは30年前の武道館で、時間を超越してキレた武道館側から客電をつけられようが構わずラブリーをやってた頃と変わらない。本当に。「階段 終わらなければいいじゃん ここまま君とここで昇り続けられるじゃんって」と2021年に歌った時、笑っちゃって。1996年に「時計の針は遅らせとくからね 4時間かそこらくらい」って言った時より悪化してたからさ。何が仔猫ちゃんだ。猫より自由なのはお前の方だ。

個人的な感想はまあどうでもいいんだけど。自分でも意外だったのはフクロウで泣きかけた事。1人で来てたら泣いてたな。ちなみに結構いろんなライブ行ってるが、泣いたのはSo kakkoi 宇宙showの流動体しかない。なんであれで泣いたのかは、いまだによく分からん。

LIFEの曲はどれも素晴らしかった。けど、僕にとってはフクロウとか流動体とかアルペジオ(今回やらなかったけど小沢健二の中でこれが一番好き)が僕の青春の曲なんだ。だから、2054年にまたこの辺の曲を聴きたい。ん?So kakkoiは2019年のアルバムだから、30年後は2049年か。なんかいけそうな気がしてきた。

とにかく小沢健二には長生きして欲しいな。お腹もちょっと出たりしてね。そんな事がたまらないから。

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