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はじロー(27) 死の支配?
ローマ人への手紙5章12‐14節
死の支配?
一度死んでみたら、死がどのようなものかを知ることができるのでしょうか。試してみたとしても、本当に死を知ることにはならないかもしれませんから、試してみる前に、もっと調べておいたほうがいいですね。
というわけで、十字架で死なれ三日目に復活したイエス・キリストの話を聞いてみたいのですが、復活してから後、弟子たちに語られた事々は神の国についてであって、死後の世界のことではなかったのでした。たぶん、知る必要はない、ということなのでしょう。
では、何を知る必要があるのか。
パウロは、死がすべての人を支配した、と記します。もう少し後では「罪が死によって支配した」とあります。人間が罪と死に支配されているものである現実を、パウロはキリストの贖いを受けた人に伝えようとしています。
第一部序論でこの手紙のテーマである福音についてパウロは簡略に書いていましたが、それは「福音の信仰による義人は生きる」でした。第二部では、「ユダヤ人もギリシャ人も福音の信仰によって義とされる」ことを解き明かしていました。そこまで納得したうえで、いよいよ「義とされたユダヤ人もギリシャ人も福音の信仰によって生きる」というテーマの第三部が、ここから始まります。
第二部の始めが「天から啓示されている神の怒り」(1章18節)で、結論が「怒りから必ず救われる」(5章9‐10節)であったように、御子のいのちにあって救われた者が、どのように罪と死の支配から解放されて「生きる」ことができるのか。それで、第三部は「罪と死の支配」のもとに自分が置かれていることを知ることからスタートするのです。
罪とは、神を知っていながら、神を神としてあがめず、感謝もしないことでした(ローマ1:21)。それが、事実キリストが私たちのために死なれたこと、復活したことを知ることで、神を崇めないではいられない者になります。神を崇めない生き方をしていたこと全ても、その贖いを信じることで帳消しにされます。
ところが、それで全て問題が解決するかといえば、そうではありません。「支配」されているからだの問題を解決しなければならないのです。
ローマ人への手紙5章12‐14節
こういうわけで、ちょうど一人の人によって罪が世界に入り、罪によって死が入り、こうして、すべての人が罪を犯したので、死がすべての人に広がったのと同様に ── 実に、律法が与えられる以前にも、罪は世にあったのですが、律法がなければ罪は罪として認められないのです。けれども死は、アダムからモーセまでの間も、アダムの違反と同じようには罪を犯さなかった人々さえも、支配しました。アダムは来たるべき方のひな型です。
(新改訳2017)
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