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ドリアンのシンガク・ノート(キリスト教神学)

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聖書や教会に関するちょっとリクツっぽい話。見えない神がここで見えるはずなのに、違って見えているかも、というところが気がかり。
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2021年3月の記事一覧

聖書の教え方

聖書は決して読みやすい文書ではない。時代も、地域も、遠い世界のものであり、さらに、神のお働きにかかわる話。難しくて、深い意味がある文章を、子どもに教えることはなおさら難しい。だからこそ、それを解き明かす訓練された人が必要となる。それが「教師」(エペソ4:11,1コリント12:28,使徒13:1)。 どのように聖書を読んだらいいのかは、そうした、先に読み方を知った人(先生!)と一緒に読むことによって、次第に身についてくる。 ある人と長く付き合うほどに、その人の人格をより深く

動機付けと師弟関係

(参考:創造的な聖書の教え方 第11章「学習者に動機付けを与える」) 聖書を教えるとは?実は聖書を学ぶこと。そのプロセスを決めるのは、教師と生徒との関係、鴨と思う。 下記の続きです。 聖書教育において、「動機付け」こそが目標の一つといえるかもしれない。 キリストの「新しい戒め」は、「わたしがあなたがたを愛したようにあなたがたも互いに愛し合いなさい」(ヨハネ13:34)であった。 神を愛することと、互いに愛し合いなさいという神の命令とは、切り離すことはできない(1ヨハ

子供の生活の中に神が生きて働いて下さるとは

(参考:創造的な聖書の教え方 第10章「生活の中に真理を」) 聖書は、歴史に学ぼう、という以上に学んで実践すべき内容。聖書が書かれた時にその書き手に働きかけていた聖霊が、聖書を読む人にも働きかけている。そして、読んだ人は、受け止めた言葉に従って行動を起こす。 自分勝手に読み取って、自分勝手に行動したことを、「神様に教えられた」と神様のせいにしてしまわないようにするにはどうするか。 以下の続きです。 「聖書が実践される生徒の家庭、活動現場で、聖霊がどのように働いてくださ

教える聖書箇所にある神様の目的

(参照:創造的な聖書の教え方9章「ギャップを埋める」) 聖書を教える目的を、自分の目的とすげ変えてはならない。神の目的を知ることから始めよう。 こちらの続き。 「聖書を教える現場で、聖霊がどのように働いてくださるか、そのときになってみないとわからない・・・・だから事前の準備は不要。」  そのように考える人は、たぶん、カリキュラムも作成しないだろうし、利用しないだろうし、準備なしでクラスに臨むだろう。けれども私たちは、カリキュラムの準備のときから働いてくださっている聖霊

教えるための基本的姿勢

(参考:創造的な聖書の教え方 第8章「聖書の創造的な教え方のパタン」) 聖書をどう学んだらいいんだろうか。教えながら学ぶ、というのが、どうも最善の道。下記の続き。 私たちがある「方法」を実践するかどうかが、聖霊が働いてくださるかどうかを決めるのではない。聖霊がどのように働いてくださるのかを知って、聖霊の方法に従うことが、私たちのとるべき道筋である。 聖霊の働き方に沿って私たちが聖書を教えるときにこそ、教える聖書箇所からの学びが最もよく生徒に受け止められ、実践される可能性

聖書を学ぶ~聖霊が働いてくださるクラス~

(創造的な聖書の教え方6章 「創造的な教え方とは何か」 子どもたちは、日曜学校教師の話に耳を傾けて、目を輝かして聖書の世界、神の国に活動し、主の導きに応答しようとしているか。 おとなしく話を聞いていることが、主の御声を聞いているかどうかの保証にはならない。うわのそらで、その場をやり過ごすことに長けているのが、賢い子どもたち。 聖書を教えることに難しさを感じることは、正しい。いかに御聖霊の導きを受けるか、そしてそのとおりに聖書から教えるのは、決して簡単なことではない。そし